Categories
ライフスタイル

連載 独立開業までの道のり(第18回)

~努力不足と魅力不足~

「この連載は新卒で就職に失敗し20年以上に及ぶ試験勉強生活の末、
税理士・社労士資格を取得し苦節46歳にしてようやく悲願の個人事務所開業を
果たした男の資格取得を決意してから独立開業までの壮絶な過程を
複数回にわたって投稿していくものである」

Back in 2019

試験不合格を受けて前年末、上席と話し合いの席を持ち管理職を外れたい意向を
伝えました。

入社以降ひとつの科目合格も果たせていないのは自頭の悪さと要領の悪さが
一番の原因であるとはいえ学習時間が足りていないことも多分にありました。

毎年、発表直後は

「元気200パーセントで365日休みなく勉強するぞ~!!」

と意気込んで学習を開始するも1月の年初業務、確定申告、5月の3月決算法人申告と
立て続けに押し寄せる繁忙期の波に時間を削られ疲労も蓄積して学習のペースが乱れ
て質も低下、ようやく業務が落ち着く7月になってから集中して勉強するも時間が足
りず、準備が間に合わず試験に突入…

入社以来、毎度毎度そのパターンを繰り返していたこともあり勉強時間を確保するた
めにはライフスタイルそのものを変えることしか打つ手がなく、話し合いの結果によ
っては退職も辞さない覚悟での申し出でした。

完全に自身のエゴとも言える要望でしたが管理職を外れることは他になり手がいない
ことを理由に実現せずも正社員に昇格した支所のパート女性がバックオフィス部門の
管理部長として役職に就任しこれまで自分が手掛けていたメンバーに関する一切の雑
務も合わせて引き受けてくれることで一応の決着をみました。

加えて実務部隊のサポートとして繁忙期を迎えたタイミングで派遣会社経由で現役で
個人開業されている税理士さんが臨時アルバイトとして加わることになりました。

この方のようなパワフルな生活はとても出来ず

確定申告は相変わらず件数が増える一方でしたが、前年すべて自分が手掛けた小規模
な不動産申告の案件を開業税理士の方に手掛けていただき、有資格社員、新卒社員
それぞれの成長も相まって順調に申告が進み、最終申告日まで数日を残した段階で全
体でほぼ目鼻が立つ状況に。

人員が増え自然と所内にも活気が出てきたのを見るにつけ初めて自分が事務所に来た
時のあの焼け野原状態だった光景が思い起こされました。

人がいるのといないのとではこうも展開が違ってくるものなのだと人材ひとりひとり
の大切さを実感した繁忙期となりました。

確定申告後が明けた3月後半には年明けに入院手術をした母が再び入院手術することに。

手術当日の立会いはもちろん、術後も何日かは定時で退勤させていただき見舞いに出
向きました。手術時間中はひとり待合室で父と姉の到着を待ちながらただひたすら手
術の成功と母の無事を願い続けました。
幸い術後の経過は良好で家族一同、健康の大事さをしみじみ実感いたしました。

病院へ行く際に利用した京成アクセス特急

婚活の方は繁忙期前のお見合いで知り合った方と意気投合し仮交際デートを複数回
重ねる関係となりやがて真剣交際へと進展しましたが、交際の過程で生じたお互い
への不信感が原因ですれ違い交際終了に。

以降もお見合いの機会はありましたが破局のショックの影響からか結局、
交際に繋がるご縁は無く。

心身ともに疲弊しいわゆる婚活疲れを起こしてしまい税理士試験の直前期を迎える
こともあって相談所を休会し活動を中断いたしました。

税理士試験の会場は池袋の立教大学。自室から徒歩で受験しに行きました

そして夏真っ盛りの8月、それにも増してショッキングな出来事が。

税理士試験受験の関係で1週間ほど有給をとり事務所を不在にしている間に有資格社
員が突然、上席へ退職を申し出ていたことが判明しました。

個別に担当先を持つようになった頃から上席の無茶振りとも言える業務指示に度々、
感情を露わにして反発する場面が見られましたがとある顧客への対応の仕方を叱責
されたことで不満が一気に爆発。

入社から2年半が経過しこれからという時の退職に受けたショックははかり知れませ
んでしたが、退職を決意するまでの経緯を聞くと本人の甘えも少なからずあったもの
の順調に実務を吸収し経験値を重ねていたと思われた裏で特に対人面で苦悩していた
ことを知り、後輩の秘めたる思いに目を配らせるに至らなかった自身のフォローの甘
さも大いに反省すべきところでした。

早速、担当先の引継ぎが行われましたが本人が対応に悩んでいた先をはじめ、
何かしらの課題を抱えている顧客については自分に、残りの顧客については
主に新卒社員へとそれぞれ引き継がれました。

腹いせに行われた飲み会の様子
腹いせに行われた飲み会の様子2

大切な人材を失った悲しみに暮れる間もなく求人を開始したところ、ほどなくして
新たな仲間が加わることに。

23歳の若手男子で事務所最年少だった新卒社員よりさらに1学年下、真面目な人柄と
短期間ながら会計事務所での勤務経験もあるということで俄然期待が高まり即、採用
が決定しました。

入社を前にして新規社員の教育体制の見直しも図られ管理部長の協力も得て
1日、1週間、1か月単位での教育計画を個々に作成し入社後1か月間は毎日、
退勤直前にその日の振り返り面談を実践。

また、有資格社員の件での反省から初期教育後のフォローの重要性を認識し、
2年目を迎えた新卒社員についても月初に1度面談の機会を設け、
前月の振り返りと当月の目標を本人に設定させたうえで業務上の課題や悩みに
関してのヒアリングとアドバイスを行う試みを開始しました。

すでに対人面では顧客や上席から好評価を受けており着実に成長は遂げていました
が直属でしかも年下の後輩が入社したことが嬉しかったようで基礎的な教育はもち
ろん昼休みはほぼ毎日連れだって外食に出かける等、面倒見の良さも発揮してくれ
ました。

10月には入社した最年少社員の歓迎会も兼ねて初めて本社の税務会計部門と支所の
バックオフィス部門のメンバーが一同に会し懇親会を実施、大いなる盛り上がりで
メンバー間の親睦が一気に進み、12月には事務所創立10周年記念として特にお世話
になっている顧客や士業先生をお招きし総勢50名近くのド派手な忘年会が挙行さ
れ、レクリエーションにも大いに力を入れた1年となりました。

忘年会が行われた房’s (ボウズ)新宿店(2021年閉店)
プログラムの中のメニュー表

税理士試験の合格発表は前年よりはマシな成績もお約束の不合格。

毎年の不甲斐ない報告に一番の理解者である友人からは

「覚悟が足りてないのでは?」と

かなり堪えるダメ出しを受けてしまい、ぐうの音も出ず。

試験後に再び婚活もしていましたが真剣交際に進むことなく終わり再び勉強に集中し
た生活を送るため相談所を退会することを決断しました。

中断期間も含め1年4か月活動しましたが、最初のお見合いですら成立は数えるほど
で真剣交際まで進んだのは結局1名のみ。

自身の努力不足に加えて男としての魅力不足も際立った散々な一年と
なってしまいました。

つづく

Categories
ライフスタイル

連載 独立開業までの道のり(第17回)

~やるぞ 力のつきるまで~

「この連載は新卒で就職に失敗し20年以上に及ぶ試験勉強生活の末、
税理士・社労士資格を取得し苦節46歳にしてようやく悲願の個人事務所開業を
果たした男の資格取得を決意してから独立開業までの壮絶な過程を
複数回にわたって投稿していくものである」

Back in 2018

実家を離れて初めて迎えたお正月。
正月気分にひたる間もなく敗退続きの税理士試験の状況を何とかしたいと4年続けた
消費税法の受験断念を決意、新たな受験科目として国税徴収法の学習を開始しまし
た。

消費税法は不合格ではあったもののこれまで受験した年はすべてA判定。
合格にあと少しのところまできていた科目を捨てることに未練がない訳ではありませ
んでしたが、覚えにくい理論に加えスピード重視の計算問題への対応がうまくいかず
自身の適性の限界も感じていました。

その点、国税徴収法は消費税法よりも学習ボリュームが少ないうえ試験問題はほぼ
理論のみ、スピードを求められることもなく余裕をもって問題に取り組めるとの見立
てでの科目変更でした。法人税、消費税と違い過去の学習経験も無く完全にゼロから
のスタートでしたが一か八か最後の受験科目として懸けることにしました。

また、勉強時間を捻出するため平日の仕事帰りに自室近くのベローチェに立ち寄って
の夜活も始めました。

一番注文した組み合わせ。アイスコーヒーSとタマゴツナミックスのサンドイッチ。
時には書いて覚えることも実践。それにしても汚ったない字…

事務所の方はメンバーの増減なく1月の業務に突入しましたが有資格社員が面接に
来た前年とほぼ同じ時期にまた専門学校の求人媒体から応募が入りました。

早速、面接を実施しましたが来たのが3月に卒業を控えた現役の大学生。
当然ながら実務未経験で一番に補充すべき人材とはかけ離れていましたが体育会に属
していることによる礼儀正しさと明るさがあり、対人面ですでに光る点があったのと
22歳という若さに大きな可能性を感じ前年の有資格社員同様、その場で内定を出し4
月から正社員としての入社が決まりました。

確定申告期は前年末に上席のつてでとある資産家一族の申告を受注しましたが当然の
如く自分が申告を手掛けることに。
固定資産台帳の新規登録から取り掛かりましたが資産数合計105件と最初にしてボリ
ュームから圧倒されました。

この年はハウスメーカーからの紹介で不動産所得の新規申告も数多く受注しましたが
手掛けたのはすべてほかでもない自分。

新規案件が雪だるま式に増えていき自身で手掛けた件数、事務所全体での件数いずれ
も過去最高となり、これまでの会計事務所人生で最も過酷でしんどい繫忙期となりま
した。

休日の閑散とした田町駅前の様子
歩数計も疲労困憊?

結局、申告最終日まで19日連続出勤となり心身ともに疲労は極限状態でしたが事業
系の申告は2年目を迎えた有資格社員がほぼ手掛け、採用が内定したばかりの新卒社
員も臨時アルバイトという形で業務に参加、酷い花粉症の症状に苦悶しながらも下作
業を中心に頑張ってくれました。若い力の頼もしさが大いに励みとなりあと少しの辛
抱と老体にムチ打って頑張りました。

繁忙期直後は疲れを癒す間もなく服務規程の作成等、新卒社員入社に向けて受け入
れ体制を整備するべく時間にも追われる中、急ぎ準備を進めました。

入社後の新卒社員は社の方針から前年終わりに発足したバックオフィス部門の補助に
入ることになりしばらく本社と離れて業務を行うことになりました。

本社に戻った夏以降、ようやく実務的な教育が開始されましたが基本的な事項につい
ては有資格社員も協力してくれ随所で先輩らしいところも見られるように。
人員の増加によってメンバー一丸となって新戦力の教育をする環境がようやく出来つ
つありました。

私生活では税理士試験後の9月初めに中央経済社様主催の税理士独立開業セミナーに
参加、3名の女性開業税理士先生の講演を聴いて独立開業の決意がさらに強固なもの
になったのと、そこでのご縁から会計人コース冊子内の記事の執筆依頼を受け人生初
となる記事の執筆を手掛けさせていただきました。

セミナー会場の開催看板
実際に発刊された会計人コースの冊子
ほぼ編集ナシで原稿そのままを掲載いただきました

そしてこの年のもうひとつの大きな決断として結婚相談所に入会し婚活を開始しまし
た。

仕事と試験勉強中心の生活を送っていたとはいえ、公私ともに結婚に繋がるような出
会いが無く同級生のほとんどが結婚し家庭を持っている状況を目にしてさすがに焦り
が出てきました。

年齢も42歳を迎える年となって時間的な猶予もあまり残されていない中、短期間で
ご縁に恵まれるためには結婚相談所で活動をすることが一番の近道と判断し意を決し
て新たな戦いの渦へ飛び込んでいきました。

婚活当時よく出向いた帝国ホテルのラウンジ。土日はいたるところでお見合いの光景が。

そして迎えた税理士試験の合格発表、国税徴収法の受験結果は不合格。
初受験ということを差し引いても箸にも棒にもかからぬ散々な結果に

「受験科目を変えていなければ…」

と早くも自身の選択に迷いが。

婚活の方も結果発表直後にあった仮交際デートが最低最悪なものに終わり
ドン底の気分のまま年内の活動を終えることに。

活動開始直後は年内にでも真剣交際の相手を見つける意気込みでしたが
現実はそうそう甘くなく…

公私共に夜明けはもう近い、どころかもうしばらくの間続くのでした。

つづく

Categories
その他

年末年始休業のお知らせ(12/29~1/4)

皆様本年もお世話になりまして誠にありがとうございました。

弊所 2023年12月29日(金)~2024年1月4日(木)を年末年始休業期間

とさせていただきます。

新年は1月5日(金)より営業を開始いたします。

期間中はご不便おかけいたしますが何卒よろしくお願い申し上げます。

UDA税理士・社会保険労務士事務所

代表 税理士 社会保険労務士 宇田川 洋祐

Categories
ライフスタイル

連載 独立開業までの道のり(第16回)

~40にして、立つ~

「この連載は新卒で就職に失敗し20年以上に及ぶ試験勉強生活の末、
税理士・社労士資格を取得し苦節46歳にしてようやく悲願の個人事務所開業を
果たした男の資格取得を決意してから独立開業までの壮絶な過程を
複数回にわたって投稿していくものである」

Back in 2017

新たな職場で怒涛のような1年が過ぎ、今度は大学院の修士論文の作成が佳境を迎えました。

年明けすぐの提出期限に向けクリスマスも年末も正月もなく許せる時間のすべてを
論文の追い込みに費やす日々が続きました。

事務局で数々の誤字脱字を指摘されあっちを直しこっちを直しを幾度となく繰り返し
た結果、無事に提出が完了。

月末の最終試験は鼻風邪を引いて最悪の体調の中で臨みましたがその席で指導教授か
ら論文のタイトルが良くないと修正を指示されるというまさかのどんでん返しが。

「今になってなぜ…」

と、疑問と憤りの念を禁じえませんでしたがここは素直に従い無事合格、
大学院でのすべての過程が終了し晴れて卒業が決定いたしました。

本当に集中して論文を作成したのは正味半年ほどでしたが大学時代も卒論というもの
に縁がなかった身としてはやり遂げた充実感は格別でした。

大学院生活の集大成である修士論文

事務所では前年の税理士試験終了後から税務部長という名の管理職となり実務面すべ
ての陣頭指揮をとる立場となっていました。

手始めに1月の定型業務ではすべての顧客をリストアップしたチェック表を作成、
業務の進捗状況を常に可視化できるようにしました。

そして1月も終わろうとしたある日、専門学校の求人媒体経由で正社員の応募があり
上席とともに採用面接の場に同席しました。

税理士試験5科目合格を果たしたばかりで、合格発表直後から税理士事務所に絞って
就職活動をしていたものの30歳を過ぎた年齢と実務未経験、かつ、アルバイトのみ
でしか社会人経験がなかったことが災いしてなかなか内定を得られなかったとのこ
と。

5科目合格者が面接に来ること自体が想定外でしたが知識面の豊富さは言うまでもな
く真面目で純朴な人となりを高く評価、面接中に中座したうえで上席と相談しその場
で採用の内定を出しました。数日後、本人からもお世話になりたいとの連絡があり入
社が決まりました。

待望の後輩職員の入社、しかも税理士有資格者とあって社内の期待も膨らむばかりで
した。早速、会計入力の手伝いから始めてもらいましたが前年に退職した若手社員の
件での反省から人にお願いする業務は自分が直接担当する先で具体的な業務指示が出
来る先に限定、本人もやる気と潜在能力の高さを発揮し日々成長していく姿に上席と
ともに目を細める日々が続きました。

とは言え、ルーキーであることに変わりはなく人員面では依然、不安が残ったまま確
定申告期に突入することとなりました。

経験者の募集は続けるも採用は結局無く、前年の二の舞を覚悟していていましたが、
過去に長らく正社員として在籍し今は遠方に在住している女性が助っ人として加わっ
ていただけることに。
今でいうリモートワークのはしりとも言え自分が本社での窓口役を担いながら上席か
ら振られた案件を消化していただくことになりました。

ボリュームある案件を次々とこなしてくださったのに加え、自分自身も2年目という
慣れもあって連続勤務に変わりはなかったものの期限内に無事、すべての顧客の申告
を終えることが出来ました。

繁忙期が終わり引き続き新人教育に重きを置きながら業務を進めることになりました
が、前事務所時代は在籍していた8年間のうち6年目までは後輩がおらず部下の採用
や教育を直接手掛けるのは今回が実質初めての経験でした。

自身の業務をこなすのと並行して部下の教育をするのは想像以上に時間と労力を要し
戸惑いも多々ありましたが早く戦力として1本立ちしてほしい一心でつきっきりで説
明に明け暮れ本人も着実に業務を吸収、時折マニアックな税法の規定を披露するな
ど、知識面では逆にこちらが教わる場面も。

自身の担当件数も増える一方でしたが前出の元正社員の女性に引き続きサポートして
いただくこととなり支所のパート女性と合わせて会計入力要員が増えた結果、順調に
業務が回転するようになりました。

それによって自身の業務もだいぶ落ち着き、試験直前の7月には半休をとって途中退
勤し専門学校へ自習しに行けるまでになりました。

税理士試験の後に立ち寄った神楽坂の老舗甘味処「紀の善」残念ながら令和4年閉店。

そして税理士試験終了後、私生活面でひとつの大きな決断をいたしました。
生誕以来続いた実家住まいにピリオドを打ち一人暮らしを始めることに。

給料の一部を生活費として入れてはいたものの料理家事はすべて家族任せ。
いい年して親のすねかじりはよくないと思ったのと資格取得を含めた色々な面で
現状を打破するべくまずは環境を変えて日々の生活に刺激を与えたいとの思いから
の行動でした。

それ以降、日々ネットを検索し物件探しに明け暮れましたが候補はあがるも予算や場
所の面で折り合いをつけられず決めかねていた中、父の知り合いである池袋の地主の
方の所有物件に空き部屋が出たとの連絡があり早速、一緒に視察に出かけました。

家賃額は予算をオーバーしていましたが駅から徒歩5分ほどの好立地もあって決断し
ない理由は無いと思い即日、入居の申込みをいたしました。
懸念していた家賃も父の顔もあってか先方のご厚意により特別に希望額以上の割引に
応じていただけました。

契約後は近くのビックカメラやニトリで家電や家具を買い込んでは部屋に持ち込み、
週末は実家との往復を繰り返しながら着々と新生活への準備を進めました。
そして11月初旬、すべての引っ越し作業が完了し池袋での新生活がスタートしまし
た。

江戸川区役所に転出届を提出した帰りに実家に立ち寄り両親と実家での最後の夕食を。
新居に帰る途中まで犬の散歩がてら両親とともに駅に向かいました。
別れ際に何かを悟ったのかいつまでもこちらを見つめる愛犬の顔が忘れられませんでした。

40歳にして初めて経験する一人暮らし。1日に何度も足りない生活用品を買いに行っ
たり、実家では一度たりともやらなかった料理にチャレンジしたり、深夜近くに駅前
にラーメンを食べに行ったりと解放感もあってか何もかもが楽しく新鮮な気分でし
た。

部屋の窓からサンシャイン60をのぞむ
同級生3人との引っ越しお祝い会の様子

しかし、ほどなくしてやってきた12月の合格発表はまたまたまた恒例の不合格。
発表日は奇しくも事務所の忘年会の日と重なり深夜近くに帰宅後、ポストを開けて
結果を見ることに。

夢見心地な気分から残酷な現実に引き戻され、気が付くとひとり狭いエントランスに
呆然と立ち尽くしていました。

これで消費税法は4回連続の不合格。
すべてA判定ではあったものの合格には何かが足りない現状に苦虫を噛み潰す思いで
した。

そして試験勉強でも来年に向けて流れを変えるべく思い切った決断をしたのでした。

つづく

Categories
ライフスタイル

連載 独立開業までの道のり(第15回)

~ここは事務所じゃない、戦場だ!!~

「この連載は新卒で就職に失敗し20年以上に及ぶ試験勉強生活の末、
税理士・社労士資格を取得し苦節46歳にしてようやく悲願の個人事務所開業を
果たした男の資格取得を決意してから独立開業までの壮絶な過程を
複数回にわたって投稿していくものである」

Back in 2016

新天地でのスタートは年明けからイバラの道となりました。

元々隣県に本社とは別の支所があり、業務のすべてを行っていた社員の方が
いたのですが退職してしまい支所が閉鎖、担当していた顧問先のすべてが宙に浮いた
状態になってしまいました。

本社でまるまる引き受けることになりましたが、本社自体も当時いたのは上席と
総務担当のパート女性の二人のみ。

臨時で上席が顧客担当をしていたものの顧客数ではむしろ支所の方が多く
会計入力までとても追いつかない状況。積み重なった書類や段ボールの山を前に
途方に暮れており顧客担当が出来る正社員の補充が急務となっていました。

幸い自分が派遣で入った時期と同時に若手の正社員が一人入りましたが
業界未経験とあって戦力としては当然、計算が立たず。
人員が落ち着くまで派遣を使ってしのごうという考えだったようです。

一社員として入社したはずが顧客関係の交通整理と事務所内部の立て直しを
一手で手掛けることに。

顧客も人員も成熟していた前事務所とは何もかもが正反対、
荒廃しきった現状はもはや会計事務所としての体を成しておらず
思わず頭の中で冒頭の言葉が浮かんでしまいました。

事務所内のイメージその1
事務所内のイメージその2

1月の定型業務は前年の記録を頼りになんとか乗り切るも最初の難関は
個人の確定申告。上席すら満足に内容を把握していない先も多い中、
雲を掴むような感覚で業務を進めざるを得ませんでした。

連日連夜、深夜近くの帰宅、土日祝日関係ナシの連続出勤も
これまで培った経験をフルに発揮して無事期限までにすべての申告を終えることが
できました。手前味噌ながらこの年の確定申告はひとえに自分の存在なしに乗り切る
ことは出来なかったと今でも思っております。

繁忙期からわずか5日後、無謀にも人生初のフルマラソンに挑戦してしまいました。
直前に練習で30キロ走を1回やったものの42キロという距離はまったく未知の世界。

まともに走れたのは27~28キロあたりまででそれ以降は脚が動かず
ちょっと走っては歩く、の繰り返し。

それでも

「ウォーキング大会に来たわけじゃない」

とばかりにラスト2キロだけは気力で走り切りなんとか制限時間以内で
完走いたしました。

ゴール直後は全身筋肉痛で完全に生まれたての小鹿状態に。
ハーフマラソンとはまったく次元が違いフルマラソンを完走する方の
偉大さを実感した一日でした。

記録は5時間48分54秒。ボロボロになりながらの完走でした。
折り返し地点(江戸川区小松川付近)の様子

事務所での次なる関門は5月の3月決算法人の申告。
事務所全体で20件以上の申告数があったためもう一人派遣社員が加わりこちらも
なんとか乗り切ることができました。

その月の初めには閉鎖していた支所も最寄りに移動したうえで再開し新たにパート
女性を雇い入れて再スタートを切りました。

6月に入りさすがに落ち着くだろうと思っていましたが自身が担当する申告に加え、
若手社員の担当していた顧客の決算と申告をフォローをしたのもあって依然として
バタバタ…7月に入ってようやく落ち着き最後の追い込みをかけて税理士試験に臨み
ました。

大学院は2年目に突入し講義は教授による修士論文に関する指導のみとなりましたが
用事がある日(?)にしか開講しない教授の方針によりズルズル引き延ばされ肝心の
テーマすらなかなか決まらず。
ようやく具体的な作成に取り掛かったのは税理士試験が終わった8月以降になってか
らとなりました。

それ以降は週末に中野の租税資料館に通って題材となる文献を探してはコピーして
持ち帰り、平日夜にひたすらワードを叩いて作成を進めるという日々が続きました。

当時通い詰めた租税資料館。

そして年末も近づいた11月、バタバタしながらもなんとか毎月切り抜けていたとこ
ろでさらなる試練が訪れました。

かねてから素行の悪さが問題視されていた若手社員でしたが上席の再三の注意にも
かかわらず態度を改めずついには退職することに。

担当していた件数は少なかったものの1件あたりの会計入力のボリュームが重く、
自分以上に残業、休日出勤をしておりやる気のある面もありましたが内容を把握し
た上で直接業務指示できる者がいなかったことが本人をさらに増長させる結果と
なってしまいました。

そして年末の税理士試験の結果発表は恒例の不合格。
仕事と大学院の論文作成に忙殺され試験勉強は完全に二の次、三の次という
本末転倒な状況となり、前年までに合格出来なかったことがここにきて
またこの先もボディーブローのようにジワジワ効いてくることになるのでした。

つづく

Categories
ライフスタイル

連載 独立開業までの道のり(第14回)

~38歳の再始動~

「この連載は新卒で就職に失敗し20年以上に及ぶ試験勉強生活の末、
税理士・社労士資格を取得し苦節46歳にしてようやく悲願の個人事務所開業を
果たした男の資格取得を決意してから独立開業までの壮絶な過程を
複数回にわたって投稿していくものである」

Back in 2015

退職を機に大学院合格、社労士登録と立て続けに転機が訪れましたが
肝心の再就職は保留のまま年を越すことになりました。

あわよくば科目合格していたら当時はまだ実家暮らしだったこともあり
大学院卒業まで無職のまま開業へ突っ走るプランもありましたが
不合格によりそれも夢と消え。

ひとまず2年目となった消費税法の試験勉強をしながら社会復帰への
機会をうかがうことになりました。

年明けすぐ前年から参加していた社労士の勉強会で研修講師の大役を努めました。

時期的にタイムリーなところで所得税の計算と確定申告の件についてお話しましたが
90分という持ち時間内にバランスよく収めることが出来ず、後半はかなりマッハな展開に…

反省点ばかりとなってしまいましたが大勢の方を前にお話させていただけたのは
本当に貴重な経験でした。

勉強会の会場となったアカデミー茗台

3月にはこの年初開催のかつしかふれあいRUNフェスタに参加。
荒川の右岸を走るハーフマラソンでしたがゆっくりペースながらも見事完走。
本来であれば確定申告大詰めの時期ですが久々に繁忙期とは無縁の2月3月を過ごせ
ました。

記録は2時間11分59秒。ひたすら殺風景なコースでした。

そして4月となって待望の大学院入学。

最初のガイダンスで同じ新入生の方たちと初顔合わせしましたが
その中には面接試験の日に控室で会話した方の姿も。
38歳にして再び学生となった喜びから

「くだんしたの~えきをおりて~さ~か~み~ちを~」

とダミ声で唄いながら日本武道館に赴きました。

大学時代、実はゼミというものに属しておらず講義での発表も卒論もまったくの
未体験でした。

初の発表では教授よりも同じ1年生の院生からこれでもかとダメ出しを受け
煮えくり返る思いをこらえながらなんとか終了。

試験勉強と並行しながら週3回大学院に通学する慌ただしさで再就職のことなど
すっかり二の次となってしまい、毎週のように回ってくる発表に備え夜な夜な
資料作成に追われる日々が続きました。

入学式が行われた日本武道館。さすがに大学院生の参加者はまばらでした。

8月の税理士試験受験後、さすがに社会復帰せなあかんということで
再就職活動を始めましたが正社員ではなく試験勉強と両立しやすい派遣社員という
選択肢があることを知り、大手専門学校の運営する派遣会社に登録したところ、
即日、都内のとある税理士法人からオファーがありました。

予め自分が出していた「自宅から1時間以内、大学院へ30分以内という」
という条件にも合致したため早速、派遣会社の社員の方と出向き顔合わせ。
これまでの経歴を大いに評価していただけたのもあって即、就業が決まりました。

過去に所属した2つの事務所はいずれも個人事業主で税理士法人という組織で
働くのは初めての経験でしたが仕事内容はさほど変わらず、
上席からの指示に対しても右往左往することはありませんでした。

しかし、非常な人員不足に陥っており常に周囲がバタバタな状況。
記帳代行が業務の大半を占めていたにも関わらず会計入力がまったく追いついて
おらず、一度に数ヶ月分入力することは当たり前、なかには1年分まとめて入力して
そのまま決算作業へ突入する先もありました。

当初は2か月の期間限定での就業でしたがさらに2か月延長した後迎えた12月。
事務所側から正社員としてそのまま採用のお話をいただきました。

事務所内は相変わらずのバタバタだったものの雰囲気自体は悪くなく、
加えて同じフロア内に複数人の税務署出身の税理士先生が机を並べられており
常時色々なお話が聞けたこともあって、これまでにない環境で自分にとって
プラスになるものが多いと判断、正社員としてお世話になることを決めました。

直後に迎えた税理士試験の合格発表はA判定ではあったものの、また不合格…

本番ではそこそこいい戦いが出来たと思っていただけにショッキングな結果でした
し、この時点で3科目合格に到達出来なかったことで後々、大きなツケを払わされる
ことになるのでした。

つづく

Categories
ライフスタイル

連載 独立開業までの道のり(第13回)

~9年越しのSR~

「この連載は新卒で就職に失敗し20年以上に及ぶ試験勉強生活の末、
税理士・社労士資格を取得し苦節46歳にしてようやく悲願の個人事務所開業を
果たした男の資格取得を決意してから独立開業までの壮絶な過程を
複数回にわたって投稿していくものである」

Back in 2014

大学院受験を決意してから早速、試験の情報収集を始めました。
税法免除制度自体は大学の同級生が通っていた当時は3科目免除だったのが
途中で改正され2科目免除へと減らされていました。

自分も大学卒業してすぐ大学院に進んでいれば…と後悔の念もありましたが、
当時は税理士資格に興味すら無く大学院に通えるような経済事情でもなかったことを
思えばそれもやむを得ず。

残り1科目は通常通り試験で合格するしか道がなくなったわけですが
減ったとはいえ科目免除は受けられる訳で自分にとって魅力的な制度であることに
変わりありませんでした。

調べていくうち多くの大学院が税法科目免除の学科を設けていることがわかりました
がその過程で大学院の受験対策をしている専門学校の存在を見つけました。
早速、説明会に参加しすぐに入学を申し込み。
それ以降は税理士試験の勉強をしながら毎週土曜日は新たに専門学校にも通うという
生活となりました。

周りの受講生は現役の大学生をはじめ若い方から同年代、上の年代の方まで
幅広い年齢の方がいました。
税理士試験の受験状況もすでに会計2科目税法1科目に合格していて
大学院を卒業すれば税理士資格取得が約束されている方もいれば、
自分のように合格科目を残している方、まだ1科目も合格されていない方等、
こちらも人により様々でした。
講義を重ねるごとに周りの受講生の方とも徐々に会話をするようになり、
お昼休みには毎週みんなで集まって食事に出かけるまでになりました。

税理士試験の方は過去2年受験していた法人税法に代えて消費税法を選択、
受験しました。
法人税法同様、受験専念時代に一通りの学習経験があるのと法人税法に比べ
学習のボリュームが少なく、税理士試験の税法科目の中でも一番受験生の多い
科目でもあります。

大学院受験対策で通った河合塾KALS新宿校
この年は初の幕張メッセでの受験でした

そして税理士試験の受験が終わってひと段落したのも束の間、
今度は9月の大学院入試の対策に向けて本格的な準備に勤しむ日々となりました。

大学院入試の多くは1次試験で研究計画書の書類審査、
2次試験で面接での口頭試問試験で合否を決めるパターンがほとんどでした
(社会人受験の場合)

しかし、本命として受験した大学院は1次試験でまさかの不合格…
予備校で散々対策していた研究計画書の段階での不合格報告に
講師にも呆気にとられた反応をされてしまい同じ大学院を受験した
予備校の他のメンバーが全員2次試験に進んだ中、ひとり蚊帳の外に置かれたようで
いたたまれない気分になりました。

続いて受験した大学院が今回のラストチャンスと決めており、不合格だった場合は
3月入試を待たなければならなかったため追い込まれての受験でしたが、
今度は無事に1次試験を通過、口頭試問試験は郊外のキャンパスまで朝早くから
出向いて臨みました。

面接の控室にいる間に一緒に室内で待機していた受験者の方と多少の会話をした後、
いよいよ面接試験へ。
先生からの質問に対して何をどう答えたか今となっては記憶が定かではありませんが
後日めでたく合格通知をもらうことが出来、ホッとしました。

大学院の合格通知書。どういう試験であれ合格という結果は嬉しいものです。

前年から始めたランニングも江戸川マラソンに続いてこの年は
江東シーサイドマラソンに初参加。
初めて挑んだハーフマラソンで制限時間に際どかったものの無事に完走しました。
ゴール直後の達成感と高揚感とが入り混じった感情はなんとも言えないものが
ありました。

初ハーフマラソンの記録は2時間16分48秒でした。

大学院受験と合わせてこの年のもうひとつの決断が社労士登録でした。

2005年の試験合格からはや9年が経過していましたが税理士試験に合格するまで
登録は控える予定でいました。

ところがこの年から社労士合格者が集まっての勉強会に定期的に参加するようにな
り、そこで知り合った方々との交流で大いに刺激を受けたのと、
新たなスタートの意味もこめて非開業登録ではありましたが念願の社労士証票を
手にしました。登録日が自分の38歳の誕生日である12月1日となり、
そういう意味でも一生ものの記念日となりました。

東京都社労士会の入る御茶ノ水ソラシティビル。そらデカかったわなあ~、おおん。

その後迎えた税理士試験の結果発表でしたがやはり不合格…

事務所退職に始まりなにかと転機になった年にはなりましたが
最後はお約束の不合格での締めくくり。

退職にはじまり大学院進学決定と転機となった年にはなったものの
人生の乗り換えキップは試験の合格以外では手に入らないのだと
改めて痛感した年末となりました。

つづく

Categories
ライフスタイル

連載 独立開業までの道のり(第12回)

~そうだ大学院、行こう~

「この連載は新卒で就職に失敗し20年以上に及ぶ試験勉強生活の末、
税理士・社労士資格を取得し苦節46歳にしてようやく悲願の個人事務所開業を
果たした男の資格取得を決意してから独立開業までの壮絶な過程を
複数回にわたって投稿していくものである」

Back in 2014

退職が了承されて間もなくして在職最後の確定申告期を迎えました。
その期間、お客様の先に伺ってもどこか心に身が入らず
退職の件を口に出せないもどかしさを感じていました。

それでも一部の特に気にかけていただいているお客様に対しては
どうしても隠すことが出来ず正式な挨拶に出向く日まで他言しないことを
約束していただいたうえでお話しました。

なかでも一番気にかけていただいた地主のお客様。
自分の両親よりも年上でおおらかさと品がありお邪魔する度に
含蓄のあるお言葉をいただき人という点でも大いに尊敬できる方でした。

退職とその決断に至るまでの過程をすべてお話したところ

開口一番、

「なっさけないなあ~」

と呆れたような反応。

「従業員ひとりも守れないで何が経営者だ」

と酷く憤慨されていました。

別の年配の女性のお客様からは

「笑っちゃいけないけど、笑うしかないわ」

という独特の反応も。

また、一番の理解者である友人からは

「個人事務所は所長とウマが合わなくなったら終わり」

「宇田川君にとってそういうタイミングだったのでしょう。

 逆らえない運命ってあると思うよ」

と決断を尊重してくれる言葉をかけてくれました。

そして繁忙期後、最初のミーティングで予定通り
所長から全員に向けて退職が発表され引継ぎ業務が開始されました。
ただし、引継ぎといってもほとんどが所長や先輩から降りてきた担当先が
再び戻るだけとあって、技術的な引継ぎ業務はほとんどなく
所長とともに退職と担当者交代のご挨拶に出向くことが中心となりました。

引継ぎ開始から1ヶ月ほど経過して迎えた最終出勤日。
この日ばかりはわだかまりは抜きにして所長と握手をしてお別れ。
心の底から納得し清々しい思いで事務所を後にしました。

結果的に8年間お世話になり職業会計人としての基礎が出来たのは
間違いなくこの事務所での経験があってのことでした。
採用していただきここまで育てていただいたことは今でも感謝しておりますし
自分としても至らぬ点は多々ありましたがお世話になった最低限の義理は
果たせたのではと思っております。

退職後の生活はこの時点で税理士試験まで約3ヶ月ほどになっていたため
試験日までは勉強専念の生活を送ることは決めていたものの
再就職を含めた具体的な身の振り方は決めていませんでした。

先輩に退職の相談をした際、

「辞めるのは仕方ないとして、その後はどうするんだ?」

と問われた時も

「先のことは全然決めてません」

と答えるしかなく…

そんな折、前年に税理士登録した大学時代の同級生のことが頭に浮かびました。
大学在学中から税理士を志してダブルスクールしていたことは知っていましたが
在学中も卒業してからも特に連絡を取り合う関係ではありませんでした。

ところが共通の友人を通じてふとしたきっかけで連絡をとり二人で会食することに。
話の中で大学卒業〜資格取得までの経緯を聞いたところ
卒業後はそのまま大学院に進学し税法3科目の試験免除を受けた後、
会計2科目に合格したとのことでした。

同級生と会食したひもの屋新小岩店

前から大学院通学での科目免除制度が存在することは知っていましたが
当時の自分は話を聞いたところで特段関心をもつことはありませんでした。

理由のひとつに所長が16年かけて5科目合格を果たした経験とプライドから
5科目合格に強いこだわりがあり、大学院免除を目の敵にしていたことがありました。

少しでも話題にしようものなら烈火の如く怒りだし

「逃げだ」

「抜け道だ」

「ヤツらは勉強しない」

「そんな方法、俺は認めない」

等、それはそれはケチョンケチョンに批判していました。

その影響もあって自分自身も5科目合格のみがまっとうな資格取得への
道であると信じ、大学院免除に対してもやはり否定的な考えでした。

しかし、簿財合格以降は結局、合格科目を重ねることが出来ず
年齢も37歳になりこの時点で税法3科目を残した状況では合格するまで
あとどれだけの年数を要するか見通しがたちませんでした。

独立開業という目標を早期に実現させるためには年1回きりで受かる保証も無い
試験にいつまでも時間を捧げるよりも大学院を卒業して確実に免除を受けた方が
近道ではないか?と心が動きはじめていました。

障害になる要素が取り払われた今、大学院の道を決断しない理由は
もうありませんでした。

「そうだ、大学院に行けばいいんだ…」

混乱と苦悩の末、ようやく辿り着いた人生の方向転換でした。

つづく

Categories
ライフスタイル

連載 独立開業までの道のり(第11回)

~力になれなくて ごめんな~

「この連載は新卒で就職に失敗し20年以上に及ぶ試験勉強生活の末、
税理士・社労士資格を取得し苦節46歳にしてようやく悲願の個人事務所開業を
果たした男の資格取得を決意してから独立開業までの壮絶な過程を
複数回にわたって投稿していくものである」

Back in 2014

退職を決意した日の夜、事務所の先輩に近日中の仕事帰りに
時間をとってほしい旨のメールを送りました。
文面から少し困惑したような反応でしたがOKの返信が。

先輩とは入所以来ずっと二人体制で担当していた顧客もあり
自宅の最寄り駅も一緒だったため毎日、退勤後は一緒に帰っていました。

話題の大半はプロ野球やスポーツに関する雑談がほとんどで
仕事上の悩みを神妙に打ち明けることはほぼありませんでしたが
この日はいつもとは違う様子に薄々気づいていたのか帰りの道中でも

「結構、重要な話?」

とたびたび聞かれました。

駅前の喫茶店に入った後、雑談もそこそこに

「事務所を辞めることに決めました」

と単刀直入に本題を伝えました。

聞いた直後は例の大喧嘩の様子を見て愚痴を聞いてほしいくらいの
思いだったようで

「どんな仕事でも多かれ少なかれ嫌な思いをする時はある」

と早まったマネはするなと訴えかけたいばかりの反応でした。

しかし、問題の発端から現在に至るまでの過程やそれに伴って
所長から受けた対応を包み隠さず話し

「今の環境を投げうってでも辞めたい」

と決意を伝えるとこれまでの精神的な苦悩を理解してくださいました。

ショックを受けていた様子は明らかでしたが雑学とユーモアに溢れる
先輩らしく時には野村克也氏の名言に状況を例えながら今の自分の心境を
おもんぱかっていただき小一時間との予定でお誘いしたのが気づけば
2時間半近くに及んでいました。

最後に席を立つ前に先輩が一言

「力になれなくてごめんな」

先輩には入所以来、実務はもちろん顧客との対話の仕方や振る舞いを
身を持って指導いただきました。
事務所で飲み会があった後は2次会と称して先輩行きつけのスナックに
二人で行くのが定番となり場を楽しみつつさりげなく仕事上のアドバイスを
くれたりと自分にとっては一番身近な兄貴分でした。
そんなお世話になりっぱなしの先輩が謝る理由などまったくありませんでした。

逆に恩返し一つ出来ないどころか自分がしっかり筋を通さなかったばかりに
このような事態となりただただ申し訳ない気持ちでいっぱいでこみ上げてくる
想いを抑えることが出来ませんでした。

先輩と話し合いをした喫茶店ルノアール。帰るころには雪が降りだしていました。

それから数日後、いよいよ所長に退職の話をする日となりました。
退勤時間を迎え先輩には話をすることを事前に伝えていたので一足先に
事務所を後にしていただきました。

直前まであの最初に勤務した事務所を退職した日の罵倒された
忌まわしい記憶が蘇り不安でいっぱいでしたが

去り際に先輩と目が合った際

「頑張れよ」

と後押しされたようで、ようやく踏ん切りがつきました。

所長と所長の奥さんと3人だけになったところで
まずは幾度とない言い合いの件を改めて謝罪した上で
事務所を退職したい意向をお伝えしました。

これまでの経過からおおよそ予想がついていたのか、
あるいは唐突すぎて言葉を失ったのかどちらかは分かりませんが
特段取り乱した様子はなくまずは一言

「そっ…」

とポツリ

その後も淡々と話は進み

「居続けた方があなたにはいいと思うよ」

とは言われたものの感情は込もっておらずどこか冷めた口調。

初めて面接に来た時に感じた熱意はもうどこにもなく
結局、今の事務所に自分が戦力として必要とされていると思える
言葉を聞くことはありませんでした。

退職日は所長に一任することを伝えたうえで他メンバーへの
公表と後任への業務の引き継ぎ開始は確定申告期が明けてからにする
ということで退職が了承されました。
時間にして30分もかからず話し合いは呆気なく終わりました。

最初に口論となり所長の逆鱗に触れた時点で退職への伏線の芽は
すでに吹いていたのだと思いますが、結論が出たことで長い間続いた
葛藤の日々にようやく区切りがつくことになりました。

つづく

Categories
ライフスタイル

連載 独立開業までの道のり(第10回)

~別れ間際には 無傷じゃいられない~

「この連載は新卒で就職に失敗し20年以上に及ぶ試験勉強生活の末、
税理士・社労士資格を取得し苦節46歳にしてようやく悲願の個人事務所開業を
果たした男の資格取得を決意してから独立開業までの壮絶な過程を
複数回にわたって投稿していくものである」

Back in 2012~2014

歓喜の簿財ダブル合格の翌年、次なる受験科目として法人税法を選択しました。

税理士試験科目の中でも一番学習のボリュームが多く最難関科目と言われていますが
受験専念時代にひととおりの学習経験があるのと選択必須科目である以上、
必ず受験しなければならないため早期に目途を付けたいとの思いからの受験でした。

前年からの早朝学習も継続していましたが初受験は敢え無く不合格…
翌年は受験経験者対象の上級コースを受講して臨みましたが
前年とほぼ変わらぬ成績でやはり不合格。
8年かけて会計科目をようやく乗り越えたのも束の間、
今度は税法科目の厚い壁が立ちはだかりました。

プライベートでは前年にストレスにより胃炎を起こした苦い経験から
生活に潤いを持たせようとテニススクールに通い始めましたが
元来の運動音痴に加えソフトテニス時代の打ち方の癖が抜けず
腱鞘炎を起こしてしまい再び整形外科を受診する羽目に。
税理士試験は100%手書きの試験のためこれ以上症状が進行すると
悪影響が出るとして数か月の在籍で退会してしまいました。

翌年からは同い年の司法書士の友人がランニングを趣味としていたのを知り
走ることを実践してみました。
お金もほとんどかからないうえ家を出ればすぐに運動できる手軽さもあって
次第にのめりこむようになり最初は3キロ走るのもやっとだったのが
やがて普通に10キロまで走れるようになりました。
その年の秋には初めて地元の江戸川マラソン大会に参加し見事、完走しました。

初参加で10キロを57分58秒で完走。今思えばなかなか速かった…

また同じ年から料理教室にも通い始めました。
これまで料理はまったくと言っていいほどやりませんでしたが
純粋に出されたご飯を食べるだけではなく自分で作ってみたいと思ったのと
場所柄、異性との出会いを求めてという淡い期待もありました。
結局、色恋沙汰はありませんでしたが様々なメニュー作りを体験できたのは
さながら大人の調理実習のようで毎回とても楽しめました。

豚肉のしょうが焼き&かぼちゃのサラダ
ロールキャベツ&きのこといんげんのガーリックソテー

こうして適度に息抜きもしながら仕事に試験勉強にと過ごしていたところで
今後の行く末を左右することとなる事件が勃発しました。

とある問題を抱えた顧客への対応を巡って所長と考えが対立しついには言い合いに。
本意ではない思いが態度となって現れたのかその一件以来、
所長との仲が一気に険悪になりました。

関係が改善しないまま数か月過ぎた頃、再び言い合いになり
とうとうお互い声を荒げての大喧嘩になってしまいました。
所長には直後に謝罪しその場は収まりましたが燻ぶった思いを
長い間制御するのは難しいことでした。

そしてある日の朝、他のメンバーもいる場で再び激しい言い合いとなりました。
顧客訪問まではまだ時間がありましたがいたたまれない思いもあり
我先に事務所を飛び出しました。
そのとき1年近く張り詰めていた心の糸がプツリと切れました。

事務所の仕事内容や顧客対応にはまったく不満はありませんでしたし
定時退社できる環境は願ってもないものでしたが、肝心の所長との関係が
修復不可能なまでに拗れてしまいこのまま居続けるのは精神的に無理と判断、
ついには事務所を去る決断をしました。

たとえ理不尽と思うことでもトップである所長の業務指示に従わなかったことは
紛れもない事実です。
「売り言葉に〜」という面もありましたが自分の言い分を理路整然と伝えず
感情のまま反抗し続けてしまったことは今でも大いに反省しています。

家族にも相談し決意が固まったところで所長に退職の意向を伝えるのですが
その前にどうしても今の思いを話しておきたい人がいました。

つづく