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連載 独立開業までの道のり(最終回)

~夢の途中~

「この連載は新卒で就職に失敗し20年以上に及ぶ試験勉強生活の末、
税理士・社労士資格を取得し苦節46歳にしてようやく悲願の個人事務所開業を
果たした男の資格取得を決意してから独立開業までの壮絶な過程を
複数回にわたって投稿していくものである」

Back in 2023

税理士登録に必要なすべての書類を提出し終えた頃、暦はもう7月に突入していまし
た。

「3月中に免除通知が来てさえすれば今頃とっくに開業だったのに…」

と到着が遅れたことをいまだに根にもっていたところで妻から先に受験した
ファイナンシャルプランナー2級に見事合格したとの一報が。

しかも前回の3級に続いて学科・実技とも目標としていた8割を上回る好成績。

税金・社会保険ともに知識ほぼゼロの状態から本当によく頑張ってくれたと思うと
同時に、初めて受験する人を傍で応援する立場となり長らく続いた試験勉強生活を
見守ってくれた両親や妻の心情がほんの少しですが理解できたような気がしました。

結婚する際、開業した暁には事務所を手伝ってほしいとこちらから頼むことは
しませんでしたが、何も言わずとも自らサポート役となるべく業務の手助けとなる
知識を習得し事務所の力となってくれる決断をしてくれた妻には改めて感謝の気持ち
でした。

妻の立て続けの合格を鰻重でお祝い
妻が学習に使用していたテキスト

中旬になり税理士登録の第一関門である支部面接に臨みました。

初めて税理士会の支部なる施設に赴き、提出された申請書の内容を基にいくつか質問
を受けましたが特段の問題はなく終了。

日に日に門出が近づいてきていることを実感していましたがその後の税理士会の
審査で不足書類と確認事項について問い合わせがあり最後にきてバタバタ…

そしてついに8月に。

事務所の内観をはじめ料金表、ホームページもほぼ完成、印鑑、ゴム印、名刺、挨拶
状の発注、送付先のリスト作りと立て続けに進み、慌ただしいながらも着々と事務所
としての形が出来上がっていく日々にワクワクがいっぱいでした。

完成した事務所内観
納品された事務所ゴム印。社労士事務所とセットで
妻がデザインした事務所のロゴ

そしてお盆休み明けの8月24日、正式に税理士登録が完了し1週間後の8月31日、
ついに迎えた税理士証票の交付式。

残暑どころか夏真っ盛りな暑さの中、千駄ヶ谷の税理士会館へ出向き晴れの式に
臨みました。

この日の税理士登録者は114名。他の月と比べても格段の登録者の多さでこんなに
も同業の方がいるのかと改めて驚愕でした。

税理士登録通知のハガキ
税理士の聖地、東京税理士会館

数々の役員の方々から祝辞や訓示をいただきましたが、お話を聞いている今この瞬間
も税理士としてこの席にいることが現実であって現実でないような夢見心地な気分で
した。

念願だった税理士証票とバッヂを受け取り、これまでの長く苦しかった試験勉強と
勤務時代の20年余に起きた様々な出来事が次々と思い起こされ、ただただ万感の思
いになりました。

とうとうここまで来た…

とうとうこの日が来た…

とうとう…とうとう…

よくぞここまで来たと…

思えばここに至るまで数多くのものを費やし犠牲にしてきました。

お金、労力、家族、交友関係、趣味、婚期、そしてほかでもない時間…

それでもようやくスタートラインに立てた喜びと士業としての責任を感じながら
自分なりに泥臭くやっていこうと決意を固めた瞬間でもありました。

当日の配布物の数々
授与された税理士バッヂ

交付式翌日の9月1日、いよいよ事務所開業の日。

妻と両親の4人で近くのお寿司屋で記念すべき一日をお祝い。

両親には本当に長い間やきもきさせてしまいましたがこの歳にしてはじめて親孝行
らしいことが出来た喜びを極上のお寿司とともに噛みしめました。

以降、周囲の方々からのお祝いのお花や品物が続々と届き配達員の方から

「最近、お花がよく届きますけど何かあったんですか?」

と聞かれる場面も。

南池袋の貴寿司さんで特上ランチ
タカセコーヒーラウンジのクリームソーダ

46歳にしてようやく叶えた独立開業。

他の士業先生に比べ年齢的には遅い開業だと思いますし士業として
第一線で活動出来る期間も確実に短いかと思います。

それでも今の年齢での開業が自分にとってベストなタイミングだったと考え、
これからは失った時間を少しでも取り戻すべく、また未来の顧客となるであろう
皆様から

「この人に仕事を依頼してよかった」

と思っていただけるサービスを提供できるよう日々精進していく所存です。

独立開業の夢は妻や両親をはじめとする関係者すべての人の支えによって成し遂げら
れました。

それと同時にこの日からまた新たな夢を実現するための道のりが始まったのでした。

連載 独立開業までの道のり

~ 完 ~

最後までお読みいただきありがとうございました
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連載 独立開業までの道のり(第25回)

~怒る!!~

「この連載は新卒で就職に失敗し20年以上に及ぶ試験勉強生活の末、
税理士・社労士資格を取得し苦節46歳にしてようやく悲願の個人事務所開業を
果たした男の資格取得を決意してから独立開業までの壮絶な過程を
複数回にわたって投稿していくものである」

Back in 2023

合格の感動冷めやらぬ発表翌日、すぐさま科目免除の申請のため国税審議会へ
送る書類の準備に着手しました。

科目免除制度はあくまで残りの試験科目を免除してもらうという制度であり
それまでの試験科目3つをすべて合格した段階で申請が可能なため、
大学院卒業の時点でまだ1科目合格が足りていなかった自分は卒業と同時に免除申請
を出すことが出来ず、卒業から5年が経過してようやくの申請となりました。

提出用の論文は父の職場にUSBメモリを持参したうえでお邪魔しコピー機を
拝借して印刷。その他の書類も光の速さで揃え12月5日に発送完了しとりあえず
ひと安心。

そこから先はまさに合格祝いラッシュとなりました。

実家の両親と焼肉屋でお祝いランチをしたのを皮切りに大学院時代同窓で先に独立し
た開業税理士さんからもディナーにお誘いいただきお祝いをしていただきました。

両親とランチした燦々亭南池袋店
先輩税理士先生にお招きされた目白のフランス料理店「ラ・ムジカ」

その他の税理士、社労士や友人知人様々な方々からも次々とFacebookやLINEで合格
のメッセージをいただき改めて自らの成し遂げたことの凄さを再認識しました。

年末押し迫った頃には1年前退職後の身の振り方について相談をした
女性税理士先生の事務所へ合格報告も兼ねてお邪魔させていただきました。

数々の開業後のよもやま話をしてくださったうえ、合格の祝品までいただき
嬉しく楽しく有意義なひとときとなりました。

年が明け正月、今度は妻の実家で新年会も兼ねた合格祝いをしました。
義父からは合格の一報を聞いて父が涙したという話を聞いて

「お父さんの気持ちは本当によくわかる。オレも感動して涙が出たよ」

と合格を自分のことのように喜んでくれました。

大学院免除から開業した先輩税理士の方々に聞くとおおむね申請書の発送から
4カ月前後で免除通知書が届いたと聞いており、この分でいくと自分も3月中には通
知が届くと見込み、開業時期を6月~7月中と設定し準備に動き出すことにしまし
た。

そこからは事務所予定地に毎日のように通い椅子や机、オフィス家具や備品を
買い込み、事務所の内観づくりに勤しみました。

合格祝いに中学時代の友人から贈呈されたモニター

また、事務所のホームページの作成にもいち早く着手。

デザインとこれまた重要な料金体系表を作成するにあたり、まずは市場調査と研究か
ら始めようと他の税理士事務所・社労士事務所のホームページを片っ端から閲覧して
イメージを膨らませ、内容を考察する日々が続きました。

構成と文章をエクセルで下書き
作成にあたって参照した書籍

1月終わりには妻がファイナンシャルプランナー3級試験を受験。

前年の税理士試験終了後、試験勉強に奮闘する自分の姿に触発されたのか自主的に
テキストを購入、税金や社会保険の知識はほぼゼロと言っていいほどの状態からの
スタートでしたが毎日コツコツ勉強を続け受験までこぎつけました。

2月からは父の確定申告業務のお手伝いに加わることに。

前年までのコロナ特例による申告期限延長がこの年から無くなり通常の3月15日に
提出期限が戻ったとあって戦々恐々としていたところでの助太刀は父にとっても
大いに助かった様子でした。

3月になり妻がファイナンシャルプランナー3級に見事合格。

目標としていた8割以上の得点での合格を果たし、妻本人も久々の検定試験の合格に
喜びと充実感を感じたようで次なる目標を2級取得に定め早速、勉強に着手していま
した。

シズラーにて妻の合格祝い。たらふく喰いました。

この頃から免除通知の動向が気になりだしこれまでは見向きもしなかったTwitterを
チェックし始めることにしましたがその中で12月提出→3月免除決定の方のツイート
を発見。

その方より早い日付で提出した自分にも当然、通知が届くものと期待が膨らみました
が待て暮らせど一向に通知は届かず。

4月の声を聞いてもやはり通知は届かず日に日に不安と憤りが増していく中、
結婚2年を記念して妻と有馬温泉と神戸へ2泊3日の旅行を楽しみました。

神戸には前職場に在職していた5年前、顧客の件で元町にある業者を訪問した際に
出向いたことがありましたがあくまでも業務での訪問だったため日帰り強行軍となり
お昼に入った神戸牛のレストランと帰りの新幹線内でスジャータのアイスを楽しむだ
けに終わっていました。

有馬温泉街
布引の滝
神戸ポートタワー(改修中)

5月に入っても免除通知が届く気配はまったく無し。

この時点で遅くとも7月中の開業というプランが無惨に打ち砕かれことごとく開業予
定日が先延ばしになる状況に不安を通り越してついには怒りが湧いてきました。

そして体内に秘められた怒りエネルギーが感情の高まりと共に頂点に達しかけた時、
再びTwitterをチェックしてみたところ免除通知が届いたとのツイートが続出してい
るのを発見。5月下旬、ようやく自分の元にも免除通知が届きました。

4か月で届く算段が結局、5カ月半以上も経過しての到着に届いた時の心境は喜びよ
りも「やっと来やがったか」という恨み節の方が強く…

とはいえこれで税理士有資格者になれたということでホッと胸を撫で下ろした瞬間で
もありました。

実際に届いた免除通知の書面
あまりの到着の遅さに瞬転寸前

次の関門はこちらも税理士登録に必要な2年以上の実務経験を満たしていることの
証明書に署名をもらいに退職以来1年ぶりに古巣へ出向きました。

円満退職ではなかったため署名を渋られることも頭をよぎりましたが何だかんだで
6年半もの間、事務所に貢献した功績を評価していただいたのか快く応じていただけ
ました。

たまたま居合わせた税務署OBの先生ともしばし談笑し合格を祝っていただき古巣と
は入社から退職まで色々ありましたがこうして無事に署名をいただけたことは率直に
感謝の思いでした。

その後、対応してくれた上席と総務の女性と共にお昼へ出ましたが合格祝いと称した
プチ昼飲みに発展…

最後の最後の関門(?)も無事にのりきり大量の手書き書類を準備して6月中旬に
ようやく税理士会連合会へ提出、税理士登録までのカウントダウンがついに始まりました。

つづく

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連載 独立開業までの道のり(第24回)

~信は力なり~

「この連載は新卒で就職に失敗し20年以上に及ぶ試験勉強生活の末、
税理士・社労士資格を取得し苦節46歳にしてようやく悲願の個人事務所開業を
果たした男の資格取得を決意してから独立開業までの壮絶な過程を
複数回にわたって投稿していくものである」

Back in 2022

ついに始まった決死の2時間。

この年から国税徴収法の試験時間が2限目から1限目に移動。
9時試験開始の早朝スケジュールでしたが会場となった大正大学が自宅から比較的
近場であったことは幸いでした。

問題用紙の全体を見渡すと前年まで恒例の如く出題されていた趣旨や理由について
書かせる嫌らしい設問はなく、特に1問目は理論集の内容をそのまま、あるいは
いくつか抽出して書かせる素直な問いで見た瞬間、今回はいけそうな気がす
るという確信が。

試験会場となった大正大学巣鴨キャンパス
試験日の時間割と教室割

設問の一番初めは大原の教材に取り上げられていた内容がそのまま出題されるという
ラッキーもあってこれで勢いに乗った格好に。

本試験問題第1問目
大原の応用理論テキスト

それでもとてつもない緊張感で最初の30分は手の震えが止まらずただでさえ汚い字
がミミズ状態になり何度となく修正テープを使用していましたが、今書いている内容
と残り時間を常に意識するなどすこぶる冷静に記述を進めることができました。

理論問題は記述量もさることながら1、2問目それぞれで満遍なくポイントが触れら
れているかのバランスも合格へのカギとなるため余白はがまだある状況の中、
もっと書きたい衝動を抑え予定時間でスッパリ切り上げ2問目へ。

2問目は設問が3つあり1問目ほど直球的な問われ方ではありませんでしたが
解答の骨子となる内容は基本理論とあってこちらも手の震えは止まらずも記述は進み
3つ目の設問の結論で最後まで判断に迷う場面があったものの終了時間ギリギリでな
んとか記述完了。

これまでにない手ごたえと充実感で試験を終えることができました。

試験後しばらくはYouTube動画の視聴や近所をひとり散策する等、
これまでの仕事や試験勉強の疲れを癒すべくゆっくり過ごしました。

9月には妻と夏から秋への能登半島を旅行。和倉温泉の旅情と残暑厳しい中での
金沢観光を存分に楽しみ、その後の週末も妻とお出かけしてひたすらリフレッシュに
徹しました。

のとじま水族館にて
大好物の展示物がズラリ
金沢城公園にて

各予備校からは本試験の解答速報や合格ライン予想がほぼ出そろっていましたが
総じて素直な出題形式だったこともとあってか軒並みボーダーラインが80点超え。

近年よりもハイレベルな合格予想に試験結果が俄然気になり不安な日々が続きました。

そんな中、結婚前まで一人暮らししていた池袋のマンションのオーナーから1つ部屋
に空きが出たと父を通して連絡が入りました。

視察に行くと過去の住まいだった部屋と同じ階、しかも隣の部屋とあって事務所と
して使用するにはこれ以上にない運命を感じましたが合格すら定かでない状況で場所
だけ借りるのはあまりにも先走りすぎ、かつリスキーな所業でした。

それでも仮に不合格でもう一年受験となった場合は再就職はせず社労士として開業し
たうえで事務所を構え社労士業をしながら試験勉強を続けるプランを思い付き、ひと
まず空きを確保しておいていただける様、お願いしました。

事務所予定地視察の様子1
事務所予定地視察の様子2

この年から合格発表日が11月30日と例年の12月中旬から2週間ほど早まりましたが
発表日が近づくにつれ不安が増大し、試験結果を見るのがこれほど怖いと思った年は
ありませんでした。

そしてとうとう迎えた11月30日。

この日は妻も仕事が休みで二人一緒に通知が届くのを今か今かと待ちましたが
何度ポストを見に行っても通知は届かず結局、翌日以降に持ち越されることに。

翌日12月1日、この日は奇しくも自分の46歳の誕生日でした。

妻は仕事だったため今度はひとりポストへ確認しに行ったところ毎年目にしている
茶色い封筒が。

部屋に戻ることなくその場で乱暴に封筒を破り開けると飛び込んできたのは

「合格令04」の文字

勝ったぞーーーーーーーーー!!!!!!!

初めての簿記論受験から20年、社労士の受験勉強と通算すると実に23年間の長く苦
しかった試験勉強生活の日々が寄せては返す波のように思い起こされ心の底から熱い
涙がこみ上げてきました。

その場でイの一番に仕事中の父に電話を入れ合格したことを告げると電話口でただた
だ号泣。

父は50年前に税理士事務所に入所して以来、やはり仕事をしながら税理士資格取得
を目指していましたが最初の簿記論にこそ合格したもののその後が続かず。

同僚の方も数名いましたが所長のワンマンさが故、ひとりまたひとりと去っていき
ついには父ひとりのみに。

その状態が実に30年近く続き、たったひとりで実務の全面を担い孤軍奮闘していま
したが一職員という立場上、どんなに大きな仕事をしてもどんなに手間のかかる仕事
をしても正当な評価を受けずその度に煮え湯を飲まされていました。

悔しい思いをし続けた父の様子を間近で見ていた母は常々自分に

「資格があるのと無いのとでは天と地以上の差がある」

「何としてでも資格は取らなきゃダメ」

「父のような悔しい思いをしてほしくない」

と言っており

自分が会計業界に転身したきっかけも他でもない父の仕事と顧客を引き継いでいきた
いとの思いからでした。

時が経ち所長が引退も視野に入る年齢となり父自身も歳をとる中、跡継ぎにと嘱望
され自分としても一年でも早くそうしたいと願っていたわけですが肝心の試験に
なかなか試験に合格できず、期待を裏切る状況が続いていました。

特に大学院を卒業しあと1科目となったところから再び停滞が続きその度に心苦しい
思いをしながら毎年家族で落胆する光景が恒例となってしまいました。

不甲斐ない結果を耳にしても父と母は頭ごなしに叱ることはなく

「信じ、待ち、許す」の如く結果を静かに受け入れてくれました。

父が手にした当時の科目合格通知
「信じ、待ち、許す」それが愛というものや

父自身、自分が合格するまではなんとか頑張らなくてはとの思いでここまで耐え続け
てきたとあって、歓喜余った気持ちとようやく肩の荷が下りた思いとが一緒になって
涙となって現れたのだと思います。

夜には仕事から帰宅した妻とも存分に喜びを分かち合いました。

試験に受かる保証が何もない中で結婚の決断をしたことはこれから苦労を共にすると
いう意味でもあり大変勇気のいることだったと思いますし、結婚後初っ端から続いた
理不尽でありえへん現実を前に陰で耐え忍んできた妻に対してもようやく恩返しが出
来たと思っております。

夫婦ふたりで勝利の佟文ポーズ
合格祝いのケーキ

翌日は退職したばかりの元職場にも結果報告をして祝福の言葉をいただき

税務署OBの先生の一人からは

「まあ、辞めたから受かったんだよな」と

冷静かつ的確な分析も。

試験勉強という重しがのしかかった状況ではたまの息抜きでも心の底から楽しむ
ことが出来ずこの20年間は心の中が常に砂漠だったといっても過言ではありません
でした。

しかし、そんな生活にもついにピリオドを打つことが出来ました。

もう早起きしてベローチェで朝活をしなくてもいい

もう移動中に理論暗記をしなくていい

もう仕事帰りに自習室に通わなくてもいい

もう板挟みにならなくていい

もうやりたいこともやれて行きたいところにも行ける

数々のもう…が身体中を駆け巡り続けました。

最後はすべてこの言葉に集約

崖っぷちに追い込まれた状況で首の皮一枚での合格。

この日は10月に受験した相続アドバイザー3級試験の合格証書も届き
ダブルでの合格で試験勉強生活終了に花を添える形になりました。

目標の8割ジャストでの合格でしたが税理士試験の感動にすっかりかき消された格好に…


自分はもちろん妻や両親の念願がついにかなった瞬間でしたがこれまで谷ばかりの
人生の最後の最後で大きな山が来たようでこれ以上ドラマティックな展開は無いと
我ながらしみじみ思いました。

人生の乗り換え切符を手にした喜びと感動に包まれ生涯忘れられない
記念尽くしの誕生日となりました。

つづく

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連載 独立開業までの道のり(第23回)

~裏切り者の名を受けて~

「この連載は新卒で就職に失敗し20年以上に及ぶ試験勉強生活の末、
税理士・社労士資格を取得し苦節46歳にしてようやく悲願の個人事務所開業を
果たした男の資格取得を決意してから独立開業までの壮絶な過程を
複数回にわたって投稿していくものである」

Back in 2022

不合格が決定した夜、今後の進退について妻と話し合い。

今の職場環境では試験勉強に集中することは無理で合格は到底望めないことが
今度の今度こそ身に染みて分かり可能な限り早期に事務所を退職する決意をいたし
ました。

一方で収入が減少することへの不安も拭えず別の事務所に転職し働きながら試験勉強
を続けるか、試験勉強のみに専念するか退職後の身の振り方については結論が出せず
にいました。

会計業界専門の転職サイトに登録し早速、いくつかの事務所からオファーを受けた
もののどこも似たり寄ったりの勤務条件。

すでに45歳となった自分に試験勉強に配慮した雇用形態を提示してくれる事務所は
ほぼ存在しないことが分かり、転職の選択肢はその時点で排除されました。

知り合いの開業女性税理士先生とLINEのやりとりをしたところ

「試験は結局、準備にどれだけ時間をかけることができたかに尽きると思う。

自分がその状況だったら試験までは勉強に専念して試験後にその先を決めるかな」

とメッセージが。

懸念していた収入面については妻が年明けから社会復帰すべく就職活動を開始するこ
とでひとまずは乗り切れると判断し決意は固まりました。

迎えた週明け月曜日の朝、早速上席へ結果報告がてら来年の3月限りで退職したい意
向を申し出ました。

「最長でも3月いっぱいというのは話が急すぎる」

と焦ったような反応でしたがこちらの意向は受け取ったうえで結論については
年明けにもう一度話し合いをして決めようということになりいったん打ち止めに。

年が明け退職の意向は変わらない旨を伝えると再度上席から

「人がいない中で急に辞められるのは困る」

と言われたうえで

「退職ではなく4月から試験日までの間、休職扱いにして勉強に専念してみては?」

という新たな提案を受けました。

しかし休職扱いにしたところで本末転倒な状況になった前年の二の舞となることは火
を見るよりも明らかでしたし、そのことが退職への決定打になったことは言うまでも
ありませんでした。

「後任候補もいない状況でこれだけの数の案件を3月まででどう手じまいするつもりだ?」

と声を荒らげられる場面もありましたが3月末での退職以外応じる意思はなく、
いかなる批判も受け入れる覚悟でした。

試験勉強の方はこれまでの通信講座での受講からもう一度基礎からやり直したいと
数年ぶりに教室講座を申し込み。

初学者向けのコースではありましたが実際に講義を受け始めると案の定、理解不十分
の項目が次々に明るみに出て知らず知らずのうちに基礎力が抜け落ちていたことがわ
かりました。

これまでいかに独り善がりの学習をしていたかを思い知らされショックでしたが
教室講義に切り替えたからこそ気づくことが出来たと捉え穴を埋めるべく提供され
た教材を漏れなくひたすら繰り返すことに終始しました。

さらに日曜日の午前に通学が強制的に組み込まれることにより新たな生活リズムが
出来たうえ、生講義による緊張感で学習に取り組む真剣度がより深まっていきまし
た。

決死の覚悟で通った大原池袋校
教材のひとつである理論サブノート

退職の意向を伝えた以降も事務所内の雰囲気自体さほど変化は無く淡々と粛々と
仕事を進めていましたが昼休みは周囲へのいたたまなれなさから会話の輪には加わら
ず昼学習と称してあえて外食するよう努めました。

昼活で通ったサンマルクカフェ田町駅前店
ベローチェでの朝活も変わらず継続

2月になると支所の方で会計事務所歴20年超の女性職員が入社。

豊富な職務経験から目前に迫った確定申告の主戦力として大いに期待されまし
たが内勤が主で顧客訪問をした経験がほとんど無かったため自分の後任として
担当業務をそっくり引き継ぐことはさすがに難しい状況でした。

繁忙期も目前に控えていたこともあって早く後任となるべき人材を入れてほしい
という願いとは裏腹に他に採用は進まず例年依頼していた派遣の臨時要員の採用も
この年はなし。

これについては上席から

「今回の確定申告については今のメンバーで乗り切りたい」

とのお達しが。

結局、これまで通りの担当先をこれまで通りに手掛けることになりましたが
こちらの心情も配慮してもらい土日祝日については在宅での業務を認めていただき
ました。

くだらない妄言を吐き散らすな。ただでさえ若手が育たず辞めすぎるから柱はいっこうに空席のままだ。 

繁忙期中の日曜日は午前中に大原で講義を受講した後、トンボ帰りで在宅ワーク。
講義の復習はほぼ進みませんでしたが3月末まではとにかく業務最優先でと最後と
なった確定申告に全力で取り組みました。

社労士の勉強会で知り合った方から個別に確定申告を受けるという嬉しい
ご依頼もありましたが連日連夜の残業に次第に家庭内もピリピリムードに…

心身ともにほぼ限界に近づくも3月いっぱいまでの辛抱となんとか持ちこたえていま
したが退職予定日まで1か月足らずとなった時点でも新たな人材の採用は無く、
引継ぎについても具体的な指示がされず気をもむ日々。

ついに痺れを切らし自ら上席に掛け合ったところ

「当面は今いる人員で人海戦術で回していくので顧客ごとに適任候補を挙げてほしい」

との指示が。

いささかの疑念を持ちつつも顧客それぞれの癖や相性も考えて引継ぎ案を作成。

ようやく引継ぎの挨拶に回る日々がスタートしましたが確定申告も手掛けながらの
訪問と先方との日程調整もあって3月中にすべての担当先について引継ぎを完了させ
ることは難しい状況に。

あらゆる対応がもう派手派手ならぬ、後手後手だ~

周囲からは

「ズルズル引き延ばされないで早く勉強に専念できるようにしないと」

「急に辞めるわけではなく3カ月も前から言っていたのだからそこまで義理
を通す必要はないのでは?」

「辞めた後のことは経営者が考えることじゃない?」

「もっと自分のことを大事にしなきゃ」

等、気にかけてくれてるが故の意見でしたが前事務所を退職した時のように
その場限りで感情的に反発しても話が進まないため、形式上は3月31日限りで退職と
するものの、積み残した案件については4月以降も必要最低限の対応をすることで
折り合いをつけました。

4月初旬、税務署OBの先生方が送別会を兼ねて食事会に招いてくださました

以降、試験勉強と並行しながら事務所には臨時アルバイトとして4月は週3日~4日、
5月は週1日~2日のペースで出社あるいは在宅ワークで残務を消化し完全に対応が
終了したのが5月25日。

本来の退職日から遅れること約2か月、ようやく勉強一本に専念出来る生活となり
ました。

6月に入り講義はすでに直前期に突入、毎回教室で模擬試験を受験するも成績は振る
わず焦る日々が続きましたがやるべきことはやっていると言い聞かせ愚直に学習を積
み重ねていきました。

移動の最中も二宮金次郎の如く常に理論集を手に歩行しながら暗記を実施。
寸暇を惜しみ諦めず投げ出さず最後の最後の最後まで負けない意気込みで頑張りまし
た。

節約のため昼食は自作おにぎり
ニノキン学習のお供だった理論サブノート(ポケット版)

そんな折、実家から愛犬マメ太郎が旅立ったとの悲しい知らせが。

我が家に迎え入れてから1年間は寝たきり状態だった祖母がまだ存命で特に母にとっ
ては過酷で先の見えない介護生活の中でマメが心の癒しになっていたことは言うま
でもなく、やんちゃで甘えん坊な性格で我々家族を楽しく幸せな気持ちにさせてくれ
ましたし、なによりマメ自身にとっても生涯愛され可愛がれ続けた幸せな一生だった
と思います。

享年14歳10か月。皆に愛されながらの旅立ちでした。

家族の一員を失った悲しみに暮れながらも残された時間で懸命に勉強に励み
1週間あたりの学習時間も週を重ねるごとに増えていきました。

そしてあっという間に本試験当日。

裏切り者の名を受けてすべてを捨てて戦いの場である試験会場へ。

運命の2時間がついに始まってしまいました。

つづく

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連載 独立開業までの道のり(第22回)

~どんなにうちのめされても~

「この連載は新卒で就職に失敗し20年以上に及ぶ試験勉強生活の末、
税理士・社労士資格を取得し苦節46歳にしてようやく悲願の個人事務所開業を
果たした男の資格取得を決意してから独立開業までの壮絶な過程を
複数回にわたって投稿していくものである」

Back in 2021

生き地獄のような5月の繁忙期を乗り越え6月に突入。

事務所の方は4月末に入社した40歳のオールドルーキーに加え
29歳ながら5年の会計事務所勤務経験がある若手社員が入社。

新体制になって以降、人員も入れ替わりつつありましたが
特にオールドルーキーは年下の新部長に毎日のように怒られ無茶ぶりをされの
洗礼を受けながらも必死に食らいついて頑張っていました。

16年かけて官報合格にたどり着いた粘り強さからか簡単には音を上げない
ガッツと精神力の強さは自分自身も大いに見習うところがありました。

税理士試験の方も仕切り直しとばかりに勉強を再開。
毎晩妻に理論暗記のチェックをしてもらいましたが同じ箇所で何度もつかえたり
言い間違えたりするなどなかなか記憶が定着せず苦戦。

約1か月間まったく勉強できなかった影響は大きく焦るばかりで無情にも日数だけが
経過していきました。

それでも今年で受験は何が何でも最後にしたいとの一心で懸命に暗記に取り組み
試験本番に臨みました。

試験日までの手製のカウントダウングッズ
試験当日はドラゴン桜のBGMをバックに出陣

試験後は結婚同居以降、仕事と試験勉強一辺倒で犠牲を強いてしまった妻への
慰労も兼ねて週末はどこかしらに出かけるようにして二人での時間を楽しむようにしました。

サンシャイン60展望台より撮影
スカイツリーを真下から撮影

勤務形態も短時間勤務からフルタイムの正社員に戻ったところで
数々の後ろ倒しになっていた業務に取り掛かることに。

手始めは社長の急逝によりほぼ業務停止状態に陥っていた
遠方のお客様に新若手社員を伴い訪問。

残暑厳しい中、エアコンの無いプレハブの事務所内に3時間近くこもりっきりで
決算に必要な書類を集めるべくひたすら二人で家捜し。

この日は社長の奥様と残されたパート職員の方々が今後についての話し合いをして
いましたが業務の何から何までを社長ひとりが担っていて奥様はノータッチだった
ため話自体まったく嚙み合わず、痺れを切らしたパート職員の方から

「ちょっと~税理士さぁーん!」(注)

と仲裁を求められる場面も。

(注)この当時はもちろん税理士ではありませんでした。

逗子駅からさらにバスで南下。片道2時間以上のほぼ小旅行でした

しかしその新若手社員も事務所の水が合わなかったのか体調不良で欠勤した後、
わずか半年足らずで退職、残った転職社員も相変わらず体調不良により度々欠勤し
実働部隊は自分とオールドルーキーの実質二人のみとなりました。

体調不良により欠勤→そのまま退職はもはやお決まりのパターンとなり、
本来なら業務が落ち着くはずの9月にいつぞや以来の持ち帰り残業が復活する等、
またもや人員不足地獄に陥ることに。

正社員復帰後も管理職にはならなかったためオールドルーキーとともに新部長の
管理下に入り業務指示を受ける立場となりましたがこの時の自分の心境はまさに

「成らぬ堪忍するが堪忍」

でした。

秋口には元税務署職員だった先生が社員として入社。
実務要員としてではなく緊急事態宣言が明け本格化するであろう税務調査の
立会いのサポート役としての採用でした。

そのタイミングを見計らったのように調査の予告電話が入りましたが
調査対象となったのがあろうことか自分の担当している顧客の中で一番税務調査に
来てほしくない先が選ばれてしまい頭の中に戦慄が走りました。

それ以降、事前のヒアリングや調査当日の対策を話し合うため元税務署職員の先生と
共に先方に出向く日々が続きました。

税務調査前日に行われた事務所の飲み会の様子。相変わらずクレイジー

12月になり調査本番を迎えましたが案の定、当日は大小問わず指摘事項のオンパレ
ード。

出来れば年内でスッキリ終わらせてほしいとの先方の意向でしたが、調査の展開から
してそんなことはハナから無理な話。

実地調査が終わってからも担当調査官やその上席とのやりとりが何度も続き、それで
も結論が出ず越年が決定してしまいました。

そんなゴタゴタな中でもウエディングフォトを撮影したりそれぞれの誕生日を祝う
等、二人での時間をより大事に過ごすようになりました。

妻の誕生日祝い
担当先のお客様からいただいた結婚祝品

そんなバタバタな中でも事務所内の忘年会はきっちりもれなく必ずどうしても開催さ
れ開催日も合格発表日と重なるこれまた恒例のタイミング。

深夜近くに帰宅し妻もとうに寝床に入った中、テーブルに置かれていたのは
見覚えのある茶色い封筒。

乱暴に破り開けると入っていたのは

よもやよもやの不合格通知。

成績も初受験の時のそれにも満たない過去最悪の点数。

悔しさと情けなさと心苦しさとで妻にただただ頭を下げて謝り続け
ふたりで明け方までずっと泣き続けました。

カラオケで妻が唄ってくれた「竈門炭治郎のうた」歌詞が本当に身に沁みました

あらゆる手段を尽くしても結局、手にすることが出来なかった合格通知。

妻のため親のため、なにより自分自身のため今後に向けてベストな選択が何か
熟慮に熟慮を重ねた結果、結論が出ました。

これまで事務所のために尽くして6年、ついに鬼となる日が来ました。

つづく

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ライフスタイル

連載 独立開業までの道のり(第21回)

~怒り 涙 ほほえみ~

「この連載は新卒で就職に失敗し20年以上に及ぶ試験勉強生活の末、
税理士・社労士資格を取得し苦節46歳にしてようやく悲願の個人事務所開業を
果たした男の資格取得を決意してから独立開業までの壮絶な過程を
複数回にわたって投稿していくものである」

Back in 2021

前年末に試験不合格を報告した際、上席から

「結婚して1年でも早く次のステップに行けなければならない時に
それがずっと先延ばしになっているのは心苦しいし来年は勉強時間を
確保してなんとしても合格してほしい」

と前置きしたうえで

来年の1月から税理士試験日までの期間限定で残業ナシの定時あがり、
かつ週4日の短時間勤務に変更しないか?

との打診を受けました。

仕事に追われ十分な勉強時間が確保出来なかったことが結果が出ない最大の原因
であることは間違いなく、自分としても願ったり叶ったりの打診でしたが
新生活を控え出費も今より確実に多くなるであろう身として期間限定とはいえ
収入が減少することは痛手でした。

それでも上席から

「数か月の収入の目減りを惜しむばかりにまた来年も同じことの繰り返しでは
元も子もないのでは?」

とも付け加えられ

時間はお金に代えられないとの思いから来年が正念場と覚悟を決め、
ありがたく提案を受けることにしました。

勤務形態変更に伴ってこれまでの税務部長の役職から降りる形となり後任として
前年4月から加わった元派遣社員が新部長として就任すること。
当初は故郷に帰り独立開業の準備をするとの予定が一転、派遣期間終了と同時に
そのまま正社員として入社していました。

2年前に自分から管理職降格を申し出た際には他になり手がいないという理由で断ら
れていましたが事務所内の人員構成の変化もあって逆に上席からの打診によりそれが
実現する形に。

そこまでしたからには何としても今年は合格しなければならないと今までにないほど
の危機感が芽生え平日は朝5時前に起床し7時から職場近くのベローチェで始業前ま
で勉強、終業後は新たに自宅近くの有料自習室に通い再び勉強という生活となりまし
た。

朝活スポットだったベローチェ田町店
池袋の有料自習室メダリストクラブ(写真のお姉さんはモデル)

婚約中の彼女とは土曜日に会って一日過ごすスタイルは変わりませんでしたが
自室で新居の物件検索や二人で料理をする等のおうちデートが中心となりました。

夕食後には理論暗唱タイムとして理論集を見ながら正確に暗記が出来ているかどうか
チェックしてくれる等、積極的に勉強にも協力してくれるようになりました。

しかしこの勤務体系の変更は若手メンバー3人にとっては負荷を増大させる結果とな
りました。

直接の上司が自分から新部長に代わり指導内容が一変したことにより代わる代わる
体調不良を理由とする欠勤を繰り返し、ついには全員が欠勤するまでに事態が悪化。

確定申告も想定していた割り振りが出来なくなったことで自分の担当件数もこれまで
とさほど変化が無く前年と同様に申告期限が1か月延長したことで集中的な負担は避
けられたものの短時間勤務に早くも暗雲がたちこめました。

そして3月に入り恐れていたことが現実に。
欠勤続きだった若手メンバーのうちまず最年少の女性社員が退職することになり
さらに月末には新卒社員が退職するという悪夢のような退職ドミノに。

女性社員は自分のたっての希望で採用し、新卒社員にいたっては入社以来着実に実力
をつけ柱になりつつあったのに加え、社交的で顧客からの受けも抜群でこれからとい
う時の退職は事務所にとっても自分にとっても大きな痛手となりました。

新卒社員からは退職前に個別にランチに誘った際、会話の中で当初上席から聞いてい
た退職理由とは異なる退職理由を打ち明けられました。

それまでの本人の様子からある程度予想がついていたとはいえ、助けになれなかった
自分の無力さを痛感しました。

終わり際に思わずかけた言葉が

「力になれなくてごめんな」

7年前、前事務所の先輩に退職を報告した際に言われた言葉を時が経って今度は自分
が後輩メンバーに言わなければならない場面が訪れてしまいました。

自分が管理職のままだったらそのまま居続けただろうと思うと心苦しく2人には
ただただ申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

新卒社員と最後のランチをしたスペイン料理屋

悲しみに暮れる中で4月に入り新居への引っ越しと入籍を済ませ新生活がスタートし
ましたがトドメとばかりに今度は前年秋に入社したばかりの経験者社員も体調不良を
理由に退職することになり何かに取り憑かれたかの如く人が去ってゆく異常事態に。

そもそも事務所側から短時間勤務をもちかけられたのも人員が着実に増え自分の担当
業務を他のメンバーに振り分けられる算段があってこその提案だったと思いますが相
次ぐメンバーの退職により業務量が減るどころか逆に担当が次々とリターンされ、
むしろこれまでより増えるという本末転倒な状況に。

月終わりになって昨年官報合格したばかりの人材を採用しましたがいかんせん実務未
経験。顧客対応までまるっと引き受けられる即戦力の人材を採用する以外、自分の
業務負担を減らす方法は無く5月の決算申告は結局、前年までと同じ12件の申告を
手がけることに。

申告件数の多さとこれまでの短時間勤務によってあらゆる作業が滞っていたツケがこ
こに来て一気に回る形となり連日連夜の残業に加えて土日も普通に出社が続き短時間
勤務が一転して長時間労働となりました。

これには新婚の妻も到底理解を示すはずもなく、ただでさえ同居以来まともに一日一
緒にいた日がほとんどなく無理がかかっていたところに精神的なストレスも重なり体
調を崩す日が続きました。

仕事で心身ともに疲れ果て妻とも蟠りが生まれ、もはや心の安息の場は無く
一番の理解者である友人からはSNSの投稿からただならぬ事態に陥っているのを見て
すぐさま状況を案ずるLINEが入りました。

一日一善ならぬ一日一件申告でも間に合わず

約1か月もの間、怒りと苦しみと悲しみで紋々とする中、なんとか首の皮一枚で
すべての申告を期限内に終えることができました。

申告作業を全て終え真っ先に妻と今後についての話し合いをしました。
そして6月からは当初の取り決め通り週4日、定時上がりを維持したうえで
試験1か月前からは積極的に有給をとらせてもらえることを上席と確認しました。

事務所から横流しでもらったメロン。逆に「請求書です」と言いたいほどの激務でした

結婚以来、妻には迷惑をかけっぱなしになってしまいましたが実家の母親から

「夫婦なんだからこれから先も色々なことがあるわけだし迷惑をかけるというのは
どうなのかな?今後は二人でいる時間を作ってあげてください」

と意見をされつつ温かいメッセージが。

妻の体調も回復し蟠りも解けたところで引き続き試験勉強のサポートをしてもらうこ
とになりあとは試験本番に向け一心不乱に走るのみとなりました。

つづく

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連載 独立開業までの道のり(第20回)

~どうしようもない僕に天使が降りてきた~

「この連載は新卒で就職に失敗し20年以上に及ぶ試験勉強生活の末、
税理士・社労士資格を取得し苦節46歳にしてようやく悲願の個人事務所開業を
果たした男の資格取得を決意してから独立開業までの壮絶な過程を
複数回にわたって投稿していくものである」

Back in 2020

税理士試験受験後、真っ先にとった行動は婚活の再開でした。

前回活動時は成婚まで繋がらず一度は諦めたものの前年に若手社員2人が
相次いで結婚したのを目の当たりにして再度、婚活への意欲が再燃。

心の底からパートナーが欲しい、結婚を諦めたくないと強く思い
年内いっぱいまでの4か月間限定と決めて再活動することに。

相談所は前回活動していた相談所とは別の相談所に入会。
前相談所に再入会も可能でしたが当時の担当カウンセラーとのやりとりの中で
少なからず不信感が生じたことと新たな環境で心機一転したいとの思いからの
変更でした。

早速、9月1日から活動を再開したところ前回活動の相談所とは別の検索システムを
利用したこともあって嬉しいことに女性側からのお申し込みもそこそこあり、
瞬く間にスケジュールがお見合いで埋まっていきました。

特にシルバーウィーク中は4連休のうち3日間お見合いとなり1日で複数名との
お見合いも初体験する等、なかなかのハードスケジュールに。

そんな中でお見合いした方のうち一人と仮交際が成立。

通常、初対面のお見合いの席で自身の仕事の話を必要以上にするのは好ましくない
とされていましたがお相手も経理関係の仕事をしていたためむしろそちらの話題で
会話が弾む展開に。

仮交際成立後初めての食事では初対面時以上に楽しくお話することが出来、
これまで婚活で知り合った方とは明らかに違う心の充実感を感じました。

後の妻となる女性とお見合い初対面をしたドトールアレア品川店

10月に入り初めてお出かけデートを企画しましたが生憎、台風接近により
予定がキャンセルに。

次回お会いする日まで少し間隔が開いたことから一度、LINE電話で通話を
してみようという話になりました。

電話機能を使用したのはお互いこの日が初めてでしたが1時間以上も楽しく
会話をすることが出来ました。

浜離宮庭園でのお茶と和菓子
都民でありながら初めて訪問した東京タワー

担当カウンセラーにはその日のデート内容やお相手の様子を事細かに報告。

前回婚活時はカウンセラーとのコミュニケーションがうまくいかず交際相手と
すれ違いが生じ破局に至った反省から相手の反応やこちらに対する温度感を
常に先方カウンセラーに問い合わせていただけるようお願いしました。

その後のお食事の際に今の思いを率直に打ち明け見事真剣交際ステージに進展、
それ以降、毎週土曜日は二人でお出かけする関係になりました。

真剣交際を申し込んだ田町の居酒屋「湯浅」
葛西臨海公園のマグロの大群を前に愛を告白

一方、職場では転職エージェント経由で待望の経験者社員が入社。

すでに税理士試験4科目を保有していて官報合格にリーチをかけている
状況で8月の税理士試験で最後の科目を受験したばかり。

仮に年末官報合格を果たしたとしても当面独立は考えておらず支所長として
全面的に顧客を担当したいとの意向に上席も好反応を示し即、採用が決定。
事務所として初めて社宅を手配する等、まさに三顧の礼をもっての迎え入れでした。

そしてこの頃からとある顧客へ行ったコロナ関連対応で自分の思い違いが原因による
不備が生じ騒動となったことや別の担当先の業務の進め方を巡って上席から状況説明
とその対応を求められる場面が度々発生し、ついには土曜日のデート中にも問い合わ
せの電話が。

身から出た錆とはいえ楽しいひとときに冷や水をぶっかけられたようでこの時ばかり
は激しい憤りを覚えましたが二人で過ごす時間は仕事でのストレスを忘れさせてくれ
る心の休息でした。

以降も平日は毎日LINEでやりとりし金曜日の夜はLINE電話で会話、土曜日はお出か
けデートで一日過ごすのが1週間のパターンとなり、お付き合いしている異性がいる
とこんなにも心が豊かになり生活が充実するものなのかと胸が熱くなる思いでした。

交際は順調に進み11月に入り真剣に結婚を考えていることを率直に伝え、
彼女からもOKのお返事をいただき晴れて婚約が成立。

カウンセラーには仮交際時から一貫して

「これほどまでにお話していて楽しくて心が安らぐ人に出会うことはそうそう無い」

と伝え続けこの人とならこれから先の人生を楽しく仲良く過ごしていけると確信、
こちらも前回の婚活時に学んだ「言葉でハッキリ想いを伝える」ことを勇気を出して
実践し見事、その成果が出ました。

活動期間2か月半、お見合い初対面から2か月でのスピード婚約でしたが
決断にはなんの躊躇もありませんでした。

秋風吹く中、プロポーズした深大寺植物園

実家の両親にも報告したところ心から喜んでくれ

母親からは

「ようやく春が来たね」

とLINEメッセージが。

ご縁がある時はトントン拍子に事が進むというのは聞いていましたが
まさにそれが自分にも訪れた瞬間でした。

友人にもLINEグループで婚約を報告したところまさかのサプライズに
その日の深夜、緊急ZOOM会見が開かれ出会いやゴールインまでの経緯を
根掘り葉掘り。

活動の状況は職場や友人はもちろん家族にさえ詳細には伝えていなかったため
一様に信じ難い反応でしたが皆に遅れること10数年、独身貴族ならぬ独身卑属を
卒業しついに妻帯者の仲間入りを果たしました。

12月に入ったところでそれぞれの両親と対面し婚約を報告、正式に結婚を認めてい
ただきました。

婚約指輪を購入しパチリ

そして税理士試験の合格発表はまたしても事務所の忘年会の日と重なることと
なりましたが、会の最中に経験者社員から見事、官報合格したとの報告が。

お祝いムードに俄然火が点き、もう一人試験結果を気にしている者がいることなど
まったくお構いなしのどんちゃん騒ぎぶりでした。

毎度のことながら深夜近くにようやく帰宅し郵便受けに入っていた通知を開けた
ところ結果は不合格。

受験した感触からして厳しいとは思っていましたが国税徴収法に選択科目を変更して
以降、はやくも3度目の不合格となり、うかれ気分に鉄槌が下されることに。

週明けにいたたまれない気持ちで職場に結果を報告したところ今後のことについて
上席から思わぬ提案を受けたのでした。

つづく

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連載 独立開業までの道のり(第19回)

~おれがやめたら だれがやるのか~

「この連載は新卒で就職に失敗し20年以上に及ぶ試験勉強生活の末、
税理士・社労士資格を取得し苦節46歳にしてようやく悲願の個人事務所開業を
果たした男の資格取得を決意してから独立開業までの壮絶な過程を
複数回にわたって投稿していくものである」

Back in 2020

年末に不合格報告をした際に友人から受けた

「覚悟が足りないんじゃないの?」

という言葉が頭を離れずいつもにも増して重苦しい年越しを過ごしました。

年初業務は例年どおりの慌ただしさでしたが前年秋に採用した最年少社員が
意外なところでガッツを見せ助けになってくれたことだけが唯一の光明でした。

2月に入るとその最年少社員と新卒社員が揃いも揃って結婚入籍を発表。

24歳と23歳の若手二人の相次ぐゴールインに事務所全体が祝福ムードのなか、
先を越された43歳の非モテオジサンとしては独り身の寂しさがより身に染みて
おめでたいと思う一方、複雑な思いもありました。

若手社員二人の結婚お祝い会の様子。この後予想だにしない悲劇が起こるとは…

ともあれ身を固めたことで一層仕事に精を出してもらおうじゃないのと
お手並み拝見気分でいたところ最年少社員が突如、無断欠勤する事態が発生。

1週間以上音信不通となった挙げ句、やっと本人から上席に連絡が入るもまさかの
鬱病診断を受けたとの報告が。

新卒社員と協力して前年退職した有資格社員の穴をカバーしてほしいと期待をかけて
いた矢先での悲劇。その後再び音沙汰が無くなり一度も姿を見せることなくそのまま
退職となりました。

欠勤直前まで元気そのもので言動も特に変わった様子も見られなかったことを思うと
到底、信じ難い退職理由。

在職わずか5か月での不可解な退職劇に上席は

「ウチの何が不満なの?」と

お手上げともとれる発言。

採用初日から気にかけ手塩にかけ育ててきた自分としても無念でやるせない
思いでした。

これで160人もの申告件数を実質3人でこなさなくてはならなくなり絶望的とも思え
たところで新型コロナウイルスまん延による確定申告期限1か月延長の発表が。

窮地に陥っていたところでの無条件の延長発表は不謹慎ながら朗報以外の何物でもな
く、世の中の混乱とは裏腹に事務所一同ホッと胸を撫でおろしていました。

申告延長発表直後に行われた飲み会の様子
申告延長発表直後に行われた飲み会の様子2

確定申告期間中にも飲み会が開かれるというクラスターお構いナシなノリでしたが
結局、申告はこれまで以上に既存メンバーを総動員した結果、提出延長となったのは
限られた先にとどまりほとんどが当初の期限の3月15日までに申告が終了。

その一方で自分自身は21日連続出勤とまたしても過去最高記録を更新してしまい
ました。

仕事帰りが遅くなった日によく買っていたほんのり屋のおにぎり。閉店間際セールで1個100円!(当時)

一息ついたのもつかの間、またしてもドン底に突き落とされる事態が発生。

3年前に確定申告の臨時助っ人として復帰し、その後も在宅勤務という形で会計入力
業務を引き受けていただいてた元社員の方が3月限りで退職することが判明。

ボリュームある案件を中心に会計入力のほとんどを依頼していた自分にとっては
悪夢のような知らせで目の前が真っ暗に。

記帳代行がメインの会計事務所であるにも関わらず会計入力専門の内勤社員を
採用してこなかったツケがここにきて一気に出た形に。

慌てて新規社員の募集を開始するも直後にコロナによる混乱が加速度的に進んでいっ
た間の悪さもあって応募自体ほぼ無く早くも行き詰まり。

結局、当面の間自分で会計を消化せざるを得なくなり平日は朝から夕方まで事務所
で業務後、夜はテレワークと称して自宅で会計入力をこなし土日も終日在宅で会計入
力を進めるという仕事一色の生活となってしまいました。

この方の言葉で言えば「藪からスティック」「根耳にウォーター」な事態でした。

少人数の中で立て続けに人員が消え事務所内までもが緊急事態に陥る笑えない状況と
なりましたが取り急ぎ派遣社員として独立開業準備中という状況の方が夏までの期間
限定という契約で加わることとなり溜まっていた会計入力をひたすら消化してもらい
ました。

そして、渋い状況だった新規採用の方にもようやく動きがあり1名が面接に来社。
30歳過ぎた転職希望の男性で業界未経験ではありましたが真面目な人柄と前職が経
理職とあって会計入力要員として即戦力になるとの判断で採用が決まりました。

やがて緊急事態宣言が出され世の中でステイホームの流れが進んだこともあって転職
社員については入社後数日余りで早くも自宅でのリモート業務に従事してもらうこと
となりました。

満足な初期教育も出来ないままのスタートでしたが、基礎的な会計入力については
ほぼ問題なくこなしてくれたお陰もあって自身のサービス残業もひとまず解消の
方向に向かいました。

通常業務についてはようやく正常に戻りつつありましたが、この頃から各顧問先から
のコロナ緊急融資の相談と必要書類の手配業務が増え、顧客によっては申込書の書
き方から手取り足取り指導することに。

さらにコロナを機に申請が爆発的に増加した雇用調整助成金の書類の書き方を教えて
ほしいという問い合わせもあり、事務所で提携している社労士事務所に聞いてもらう
よう案内するも、すでに問い合わせ済みで多忙を理由に断られたそうで役所の電話も
繋がらずどうしたら…という悲痛な訴えも。

5月に入り今度は新たに開始された持続化給付金の問い合わせとそれに伴う必要書類
の提供依頼の雨嵐。

持続化給付金の案内リーフレット
外出自粛を呼びかけるリーフレット

5月だけで自分の担当の決算申告が12件あってただでさえ多忙な中、
緊急融資、休業協力金、持続化給付金とコロナ対応に奔走した影響で
外出自粛も連休もまったく関係ナシ。

テレワークと称した持ち帰り残業もいつの間にか復活し確定申告時期に匹敵する
疲労度合でしたが危機的な状況のなかでなんとか顧問先の助けになりたい一心で
疲れを溜めないよう、コロナに感染しないようにと気力と使命感だけでなんとか
持ち堪えていました。

緊急事態宣言下の池袋駅前
ブルーインパルスによる医療従事者への感謝飛行

緊急事態宣言が明けた6月にはもう一人新たに社員が入社。

22歳の女性で若いながらも会計事務所での経験が1年ほどあり採用を巡っては当初、
上席と意見が相違しましたが、経験はもちろん真面目で素直な人柄を高く評価し自分
の強い希望もあって採用が決まりました。

上席以下バックオフィス部門の管理部長やそのメンバーはじめ女性が多い事務所では
ありましたが税務会計部門での女性社員採用は自分が入社してから初めてのことでし
た。

新卒社員、転職社員に加えて後輩社員が一気に3人となりサポート人員がようやく固
まりつつある状況に。

初期教育は転職社員と女性社員との2人同時進行となりましたが特に女性社員は業務
面以外でも率先して電話に出たりお茶出しをしてくれたりと地味ながらも職場の雰囲
気に彩を添える存在となりました。

7月は例年であれば閑散期で目前に迫った税理士試験に向け追い込みをかけている
時期ですがコロナ対応に加えて本社事務所の改装工事も重なりバタバタが続き一向
に学習が捗らず。

そしてある日、上席からものづくり補助金の申請対応をするようにとの指示が。

突如として降ってきた業務指示でしたが誰一人手掛けたこともない初めての試みな
うえ、話があったのが締切1か月を切ってからでは対応ははなから無理な話というも
の、思い付きのような業務指示に疑問と憤りの念を抱かざるを得ませんでした。

慌てて書籍を購入するも結局、申請は延期に。瞬転寸前のドタバタ劇でした。

そしてあっという間に8月になり税理士試験本番に。

感染拡大の影響であらゆる資格検定試験が中止、延期になっており
さらにオリンピックまでもが開催延期が決定したのを見て
4年に一度の世界的なビッグイベントですらそのような状況なのだから、
年1回、それも一国内だけの税理士試験も当然延長、あわよくば中止になることを
信じて疑いませんでしたが、あろうことか予定どおりの日程で1ミリの変更もなく
実施されることに。

国税庁ホームページより

会場入口での検温はあったものの机や椅子の間隔を空ける等の目立った感染対策も
されておらずほぼ例年と変わらぬ試験光景でした。

感触も今ひとつで苦虫を噛み潰しながら試験場を後に。

悶々とした思いのまま帰宅後、昨年までやっていた「アレ」を再開すべく
行動を起こしたのでした。

つづく

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連載 独立開業までの道のり(第18回)

~努力不足と魅力不足~

「この連載は新卒で就職に失敗し20年以上に及ぶ試験勉強生活の末、
税理士・社労士資格を取得し苦節46歳にしてようやく悲願の個人事務所開業を
果たした男の資格取得を決意してから独立開業までの壮絶な過程を
複数回にわたって投稿していくものである」

Back in 2019

試験不合格を受けて前年末、上席と話し合いの席を持ち管理職を外れたい意向を
伝えました。

入社以降ひとつの科目合格も果たせていないのは自頭の悪さと要領の悪さが
一番の原因であるとはいえ学習時間が足りていないことも多分にありました。

毎年、発表直後は

「元気200パーセントで365日休みなく勉強するぞ~!!」

と意気込んで学習を開始するも1月の年初業務、確定申告、5月の3月決算法人申告と
立て続けに押し寄せる繁忙期の波に時間を削られ疲労も蓄積して学習のペースが乱れ
て質も低下、ようやく業務が落ち着く7月になってから集中して勉強するも時間が足
りず、準備が間に合わず試験に突入…

入社以来、毎度毎度そのパターンを繰り返していたこともあり勉強時間を確保するた
めにはライフスタイルそのものを変えることしか打つ手がなく、話し合いの結果によ
っては退職も辞さない覚悟での申し出でした。

完全に自身のエゴとも言える要望でしたが管理職を外れることは他になり手がいない
ことを理由に実現せずも正社員に昇格した支所のパート女性がバックオフィス部門の
管理部長として役職に就任しこれまで自分が手掛けていたメンバーに関する一切の雑
務も合わせて引き受けてくれることで一応の決着をみました。

加えて実務部隊のサポートとして繁忙期を迎えたタイミングで派遣会社経由で現役で
個人開業されている税理士さんが臨時アルバイトとして加わることになりました。

この方のようなパワフルな生活はとても出来ず

確定申告は相変わらず件数が増える一方でしたが、前年すべて自分が手掛けた小規模
な不動産申告の案件を開業税理士の方に手掛けていただき、有資格社員、新卒社員
それぞれの成長も相まって順調に申告が進み、最終申告日まで数日を残した段階で全
体でほぼ目鼻が立つ状況に。

人員が増え自然と所内にも活気が出てきたのを見るにつけ初めて自分が事務所に来た
時のあの焼け野原状態だった光景が思い起こされました。

人がいるのといないのとではこうも展開が違ってくるものなのだと人材ひとりひとり
の大切さを実感した繁忙期となりました。

確定申告後が明けた3月後半には年明けに入院手術をした母が再び入院手術することに。

手術当日の立会いはもちろん、術後も何日かは定時で退勤させていただき見舞いに出
向きました。手術時間中はひとり待合室で父と姉の到着を待ちながらただひたすら手
術の成功と母の無事を願い続けました。
幸い術後の経過は良好で家族一同、健康の大事さをしみじみ実感いたしました。

病院へ行く際に利用した京成アクセス特急

婚活の方は繁忙期前のお見合いで知り合った方と意気投合し仮交際デートを複数回
重ねる関係となりやがて真剣交際へと進展しましたが、交際の過程で生じたお互い
への不信感が原因ですれ違い交際終了に。

以降もお見合いの機会はありましたが破局のショックの影響からか結局、
交際に繋がるご縁は無く。

心身ともに疲弊しいわゆる婚活疲れを起こしてしまい税理士試験の直前期を迎える
こともあって相談所を休会し活動を中断いたしました。

税理士試験の会場は池袋の立教大学。自室から徒歩で受験しに行きました

そして夏真っ盛りの8月、それにも増してショッキングな出来事が。

税理士試験受験の関係で1週間ほど有給をとり事務所を不在にしている間に有資格社
員が突然、上席へ退職を申し出ていたことが判明しました。

個別に担当先を持つようになった頃から上席の無茶振りとも言える業務指示に度々、
感情を露わにして反発する場面が見られましたがとある顧客への対応の仕方を叱責
されたことで不満が一気に爆発。

入社から2年半が経過しこれからという時の退職に受けたショックははかり知れませ
んでしたが、退職を決意するまでの経緯を聞くと本人の甘えも少なからずあったもの
の順調に実務を吸収し経験値を重ねていたと思われた裏で特に対人面で苦悩していた
ことを知り、後輩の秘めたる思いに目を配らせるに至らなかった自身のフォローの甘
さも大いに反省すべきところでした。

早速、担当先の引継ぎが行われましたが本人が対応に悩んでいた先をはじめ、
何かしらの課題を抱えている顧客については自分に、残りの顧客については
主に新卒社員へとそれぞれ引き継がれました。

腹いせに行われた飲み会の様子
腹いせに行われた飲み会の様子2

大切な人材を失った悲しみに暮れる間もなく求人を開始したところ、ほどなくして
新たな仲間が加わることに。

23歳の若手男子で事務所最年少だった新卒社員よりさらに1学年下、真面目な人柄と
短期間ながら会計事務所での勤務経験もあるということで俄然期待が高まり即、採用
が決定しました。

入社を前にして新規社員の教育体制の見直しも図られ管理部長の協力も得て
1日、1週間、1か月単位での教育計画を個々に作成し入社後1か月間は毎日、
退勤直前にその日の振り返り面談を実践。

また、有資格社員の件での反省から初期教育後のフォローの重要性を認識し、
2年目を迎えた新卒社員についても月初に1度面談の機会を設け、
前月の振り返りと当月の目標を本人に設定させたうえで業務上の課題や悩みに
関してのヒアリングとアドバイスを行う試みを開始しました。

すでに対人面では顧客や上席から好評価を受けており着実に成長は遂げていました
が直属でしかも年下の後輩が入社したことが嬉しかったようで基礎的な教育はもち
ろん昼休みはほぼ毎日連れだって外食に出かける等、面倒見の良さも発揮してくれ
ました。

10月には入社した最年少社員の歓迎会も兼ねて初めて本社の税務会計部門と支所の
バックオフィス部門のメンバーが一同に会し懇親会を実施、大いなる盛り上がりで
メンバー間の親睦が一気に進み、12月には事務所創立10周年記念として特にお世話
になっている顧客や士業先生をお招きし総勢50名近くのド派手な忘年会が挙行さ
れ、レクリエーションにも大いに力を入れた1年となりました。

忘年会が行われた房’s (ボウズ)新宿店(2021年閉店)
プログラムの中のメニュー表

税理士試験の合格発表は前年よりはマシな成績もお約束の不合格。

毎年の不甲斐ない報告に一番の理解者である友人からは

「覚悟が足りてないのでは?」と

かなり堪えるダメ出しを受けてしまい、ぐうの音も出ず。

試験後に再び婚活もしていましたが真剣交際に進むことなく終わり再び勉強に集中し
た生活を送るため相談所を退会することを決断しました。

中断期間も含め1年4か月活動しましたが、最初のお見合いですら成立は数えるほど
で真剣交際まで進んだのは結局1名のみ。

自身の努力不足に加えて男としての魅力不足も際立った散々な一年と
なってしまいました。

つづく

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連載 独立開業までの道のり(第17回)

~やるぞ 力のつきるまで~

「この連載は新卒で就職に失敗し20年以上に及ぶ試験勉強生活の末、
税理士・社労士資格を取得し苦節46歳にしてようやく悲願の個人事務所開業を
果たした男の資格取得を決意してから独立開業までの壮絶な過程を
複数回にわたって投稿していくものである」

Back in 2018

実家を離れて初めて迎えたお正月。
正月気分にひたる間もなく敗退続きの税理士試験の状況を何とかしたいと4年続けた
消費税法の受験断念を決意、新たな受験科目として国税徴収法の学習を開始しまし
た。

消費税法は不合格ではあったもののこれまで受験した年はすべてA判定。
合格にあと少しのところまできていた科目を捨てることに未練がない訳ではありませ
んでしたが、覚えにくい理論に加えスピード重視の計算問題への対応がうまくいかず
自身の適性の限界も感じていました。

その点、国税徴収法は消費税法よりも学習ボリュームが少ないうえ試験問題はほぼ
理論のみ、スピードを求められることもなく余裕をもって問題に取り組めるとの見立
てでの科目変更でした。法人税、消費税と違い過去の学習経験も無く完全にゼロから
のスタートでしたが一か八か最後の受験科目として懸けることにしました。

また、勉強時間を捻出するため平日の仕事帰りに自室近くのベローチェに立ち寄って
の夜活も始めました。

一番注文した組み合わせ。アイスコーヒーSとタマゴツナミックスのサンドイッチ。
時には書いて覚えることも実践。それにしても汚ったない字…

事務所の方はメンバーの増減なく1月の業務に突入しましたが有資格社員が面接に
来た前年とほぼ同じ時期にまた専門学校の求人媒体から応募が入りました。

早速、面接を実施しましたが来たのが3月に卒業を控えた現役の大学生。
当然ながら実務未経験で一番に補充すべき人材とはかけ離れていましたが体育会に属
していることによる礼儀正しさと明るさがあり、対人面ですでに光る点があったのと
22歳という若さに大きな可能性を感じ前年の有資格社員同様、その場で内定を出し4
月から正社員としての入社が決まりました。

確定申告期は前年末に上席のつてでとある資産家一族の申告を受注しましたが当然の
如く自分が申告を手掛けることに。
固定資産台帳の新規登録から取り掛かりましたが資産数合計105件と最初にしてボリ
ュームから圧倒されました。

この年はハウスメーカーからの紹介で不動産所得の新規申告も数多く受注しましたが
手掛けたのはすべてほかでもない自分。

新規案件が雪だるま式に増えていき自身で手掛けた件数、事務所全体での件数いずれ
も過去最高となり、これまでの会計事務所人生で最も過酷でしんどい繫忙期となりま
した。

休日の閑散とした田町駅前の様子
歩数計も疲労困憊?

結局、申告最終日まで19日連続出勤となり心身ともに疲労は極限状態でしたが事業
系の申告は2年目を迎えた有資格社員がほぼ手掛け、採用が内定したばかりの新卒社
員も臨時アルバイトという形で業務に参加、酷い花粉症の症状に苦悶しながらも下作
業を中心に頑張ってくれました。若い力の頼もしさが大いに励みとなりあと少しの辛
抱と老体にムチ打って頑張りました。

繁忙期直後は疲れを癒す間もなく服務規程の作成等、新卒社員入社に向けて受け入
れ体制を整備するべく時間にも追われる中、急ぎ準備を進めました。

入社後の新卒社員は社の方針から前年終わりに発足したバックオフィス部門の補助に
入ることになりしばらく本社と離れて業務を行うことになりました。

本社に戻った夏以降、ようやく実務的な教育が開始されましたが基本的な事項につい
ては有資格社員も協力してくれ随所で先輩らしいところも見られるように。
人員の増加によってメンバー一丸となって新戦力の教育をする環境がようやく出来つ
つありました。

私生活では税理士試験後の9月初めに中央経済社様主催の税理士独立開業セミナーに
参加、3名の女性開業税理士先生の講演を聴いて独立開業の決意がさらに強固なもの
になったのと、そこでのご縁から会計人コース冊子内の記事の執筆依頼を受け人生初
となる記事の執筆を手掛けさせていただきました。

セミナー会場の開催看板
実際に発刊された会計人コースの冊子
ほぼ編集ナシで原稿そのままを掲載いただきました

そしてこの年のもうひとつの大きな決断として結婚相談所に入会し婚活を開始しまし
た。

仕事と試験勉強中心の生活を送っていたとはいえ、公私ともに結婚に繋がるような出
会いが無く同級生のほとんどが結婚し家庭を持っている状況を目にしてさすがに焦り
が出てきました。

年齢も42歳を迎える年となって時間的な猶予もあまり残されていない中、短期間で
ご縁に恵まれるためには結婚相談所で活動をすることが一番の近道と判断し意を決し
て新たな戦いの渦へ飛び込んでいきました。

婚活当時よく出向いた帝国ホテルのラウンジ。土日はいたるところでお見合いの光景が。

そして迎えた税理士試験の合格発表、国税徴収法の受験結果は不合格。
初受験ということを差し引いても箸にも棒にもかからぬ散々な結果に

「受験科目を変えていなければ…」

と早くも自身の選択に迷いが。

婚活の方も結果発表直後にあった仮交際デートが最低最悪なものに終わり
ドン底の気分のまま年内の活動を終えることに。

活動開始直後は年内にでも真剣交際の相手を見つける意気込みでしたが
現実はそうそう甘くなく…

公私共に夜明けはもう近い、どころかもうしばらくの間続くのでした。

つづく