Categories
ライフスタイル

連載 独立開業までの道のり(第24回)

~信は力なり~

「この連載は新卒で就職に失敗し20年以上に及ぶ試験勉強生活の末、
税理士・社労士資格を取得し苦節46歳にしてようやく悲願の個人事務所開業を
果たした男の資格取得を決意してから独立開業までの壮絶な過程を
複数回にわたって投稿していくものである」

Back in 2022

ついに始まった決死の2時間。

この年から国税徴収法の試験時間が2限目から1限目に移動。
9時試験開始の早朝スケジュールでしたが会場となった大正大学が自宅から比較的
近場であったことは幸いでした。

問題用紙の全体を見渡すと前年まで恒例の如く出題されていた趣旨や理由について
書かせる嫌らしい設問はなく、特に1問目は理論集の内容をそのまま、あるいは
いくつか抽出して書かせる素直な問いで見た瞬間、今回はいけそうな気がす
るという確信が。

試験会場となった大正大学巣鴨キャンパス
試験日の時間割と教室割

設問の一番初めは大原の教材に取り上げられていた内容がそのまま出題されるという
ラッキーもあってこれで勢いに乗った格好に。

本試験問題第1問目
大原の応用理論テキスト

それでもとてつもない緊張感で最初の30分は手の震えが止まらずただでさえ汚い字
がミミズ状態になり何度となく修正テープを使用していましたが、今書いている内容
と残り時間を常に意識するなどすこぶる冷静に記述を進めることができました。

理論問題は記述量もさることながら1、2問目それぞれで満遍なくポイントが触れら
れているかのバランスも合格へのカギとなるため余白はがまだある状況の中、
もっと書きたい衝動を抑え予定時間でスッパリ切り上げ2問目へ。

2問目は設問が3つあり1問目ほど直球的な問われ方ではありませんでしたが
解答の骨子となる内容は基本理論とあってこちらも手の震えは止まらずも記述は進み
3つ目の設問の結論で最後まで判断に迷う場面があったものの終了時間ギリギリでな
んとか記述完了。

これまでにない手ごたえと充実感で試験を終えることができました。

試験後しばらくはYouTube動画の視聴や近所をひとり散策する等、
これまでの仕事や試験勉強の疲れを癒すべくゆっくり過ごしました。

9月には妻と夏から秋への能登半島を旅行。和倉温泉の旅情と残暑厳しい中での
金沢観光を存分に楽しみ、その後の週末も妻とお出かけしてひたすらリフレッシュに
徹しました。

のとじま水族館にて
大好物の展示物がズラリ
金沢城公園にて

各予備校からは本試験の解答速報や合格ライン予想がほぼ出そろっていましたが
総じて素直な出題形式だったこともとあってか軒並みボーダーラインが80点超え。

近年よりもハイレベルな合格予想に試験結果が俄然気になり不安な日々が続きました。

そんな中、結婚前まで一人暮らししていた池袋のマンションのオーナーから1つ部屋
に空きが出たと父を通して連絡が入りました。

視察に行くと過去の住まいだった部屋と同じ階、しかも隣の部屋とあって事務所と
して使用するにはこれ以上にない運命を感じましたが合格すら定かでない状況で場所
だけ借りるのはあまりにも先走りすぎ、かつリスキーな所業でした。

それでも仮に不合格でもう一年受験となった場合は再就職はせず社労士として開業し
たうえで事務所を構え社労士業をしながら試験勉強を続けるプランを思い付き、ひと
まず空きを確保しておいていただける様、お願いしました。

事務所予定地視察の様子1
事務所予定地視察の様子2

この年から合格発表日が11月30日と例年の12月中旬から2週間ほど早まりましたが
発表日が近づくにつれ不安が増大し、試験結果を見るのがこれほど怖いと思った年は
ありませんでした。

そしてとうとう迎えた11月30日。

この日は妻も仕事が休みで二人一緒に通知が届くのを今か今かと待ちましたが
何度ポストを見に行っても通知は届かず結局、翌日以降に持ち越されることに。

翌日12月1日、この日は奇しくも自分の46歳の誕生日でした。

妻は仕事だったため今度はひとりポストへ確認しに行ったところ毎年目にしている
茶色い封筒が。

部屋に戻ることなくその場で乱暴に封筒を破り開けると飛び込んできたのは

「合格令04」の文字

勝ったぞーーーーーーーーー!!!!!!!

初めての簿記論受験から20年、社労士の受験勉強と通算すると実に23年間の長く苦
しかった試験勉強生活の日々が寄せては返す波のように思い起こされ心の底から熱い
涙がこみ上げてきました。

その場でイの一番に仕事中の父に電話を入れ合格したことを告げると電話口でただた
だ号泣。

父は50年前に税理士事務所に入所して以来、やはり仕事をしながら税理士資格取得
を目指していましたが最初の簿記論にこそ合格したもののその後が続かず。

同僚の方も数名いましたが所長のワンマンさが故、ひとりまたひとりと去っていき
ついには父ひとりのみに。

その状態が実に30年近く続き、たったひとりで実務の全面を担い孤軍奮闘していま
したが一職員という立場上、どんなに大きな仕事をしてもどんなに手間のかかる仕事
をしても正当な評価を受けずその度に煮え湯を飲まされていました。

悔しい思いをし続けた父の様子を間近で見ていた母は常々自分に

「資格があるのと無いのとでは天と地以上の差がある」

「何としてでも資格は取らなきゃダメ」

「父のような悔しい思いをしてほしくない」

と言っており

自分が会計業界に転身したきっかけも他でもない父の仕事と顧客を引き継いでいきた
いとの思いからでした。

時が経ち所長が引退も視野に入る年齢となり父自身も歳をとる中、跡継ぎにと嘱望
され自分としても一年でも早くそうしたいと願っていたわけですが肝心の試験に
なかなか試験に合格できず、期待を裏切る状況が続いていました。

特に大学院を卒業しあと1科目となったところから再び停滞が続きその度に心苦しい
思いをしながら毎年家族で落胆する光景が恒例となってしまいました。

不甲斐ない結果を耳にしても父と母は頭ごなしに叱ることはなく

「信じ、待ち、許す」の如く結果を静かに受け入れてくれました。

父が手にした当時の科目合格通知
「信じ、待ち、許す」それが愛というものや

父自身、自分が合格するまではなんとか頑張らなくてはとの思いでここまで耐え続け
てきたとあって、歓喜余った気持ちとようやく肩の荷が下りた思いとが一緒になって
涙となって現れたのだと思います。

夜には仕事から帰宅した妻とも存分に喜びを分かち合いました。

試験に受かる保証が何もない中で結婚の決断をしたことはこれから苦労を共にすると
いう意味でもあり大変勇気のいることだったと思いますし、結婚後初っ端から続いた
理不尽でありえへん現実を前に陰で耐え忍んできた妻に対してもようやく恩返しが出
来たと思っております。

夫婦ふたりで勝利の佟文ポーズ
合格祝いのケーキ

翌日は退職したばかりの元職場にも結果報告をして祝福の言葉をいただき

税務署OBの先生の一人からは

「まあ、辞めたから受かったんだよな」と

冷静かつ的確な分析も。

試験勉強という重しがのしかかった状況ではたまの息抜きでも心の底から楽しむ
ことが出来ずこの20年間は心の中が常に砂漠だったといっても過言ではありません
でした。

しかし、そんな生活にもついにピリオドを打つことが出来ました。

もう早起きしてベローチェで朝活をしなくてもいい

もう移動中に理論暗記をしなくていい

もう仕事帰りに自習室に通わなくてもいい

もう板挟みにならなくていい

もうやりたいこともやれて行きたいところにも行ける

数々のもう…が身体中を駆け巡り続けました。

最後はすべてこの言葉に集約

崖っぷちに追い込まれた状況で首の皮一枚での合格。

この日は10月に受験した相続アドバイザー3級試験の合格証書も届き
ダブルでの合格で試験勉強生活終了に花を添える形になりました。

目標の8割ジャストでの合格でしたが税理士試験の感動にすっかりかき消された格好に…


自分はもちろん妻や両親の念願がついにかなった瞬間でしたがこれまで谷ばかりの
人生の最後の最後で大きな山が来たようでこれ以上ドラマティックな展開は無いと
我ながらしみじみ思いました。

人生の乗り換え切符を手にした喜びと感動に包まれ生涯忘れられない
記念尽くしの誕生日となりました。

つづく