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連載 独立開業までの道のり(第22回)

~どんなにうちのめされても~

「この連載は新卒で就職に失敗し20年以上に及ぶ試験勉強生活の末、
税理士・社労士資格を取得し苦節46歳にしてようやく悲願の個人事務所開業を
果たした男の資格取得を決意してから独立開業までの壮絶な過程を
複数回にわたって投稿していくものである」

Back in 2021

生き地獄のような5月の繁忙期を乗り越え6月に突入。

事務所の方は4月末に入社した40歳のオールドルーキーに加え
29歳ながら5年の会計事務所勤務経験がある若手社員が入社。

新体制になって以降、人員も入れ替わりつつありましたが
特にオールドルーキーは年下の新部長に毎日のように怒られ無茶ぶりをされの
洗礼を受けながらも必死に食らいついて頑張っていました。

16年かけて官報合格にたどり着いた粘り強さからか簡単には音を上げない
ガッツと精神力の強さは自分自身も大いに見習うところがありました。

税理士試験の方も仕切り直しとばかりに勉強を再開。
毎晩妻に理論暗記のチェックをしてもらいましたが同じ箇所で何度もつかえたり
言い間違えたりするなどなかなか記憶が定着せず苦戦。

約1か月間まったく勉強できなかった影響は大きく焦るばかりで無情にも日数だけが
経過していきました。

それでも今年で受験は何が何でも最後にしたいとの一心で懸命に暗記に取り組み
試験本番に臨みました。

試験日までの手製のカウントダウングッズ
試験当日はドラゴン桜のBGMをバックに出陣

試験後は結婚同居以降、仕事と試験勉強一辺倒で犠牲を強いてしまった妻への
慰労も兼ねて週末はどこかしらに出かけるようにして二人での時間を楽しむようにしました。

サンシャイン60展望台より撮影
スカイツリーを真下から撮影

勤務形態も短時間勤務からフルタイムの正社員に戻ったところで
数々の後ろ倒しになっていた業務に取り掛かることに。

手始めは社長の急逝によりほぼ業務停止状態に陥っていた
遠方のお客様に新若手社員を伴い訪問。

残暑厳しい中、エアコンの無いプレハブの事務所内に3時間近くこもりっきりで
決算に必要な書類を集めるべくひたすら二人で家捜し。

この日は社長の奥様と残されたパート職員の方々が今後についての話し合いをして
いましたが業務の何から何までを社長ひとりが担っていて奥様はノータッチだった
ため話自体まったく嚙み合わず、痺れを切らしたパート職員の方から

「ちょっと~税理士さぁーん!」(注)

と仲裁を求められる場面も。

(注)この当時はもちろん税理士ではありませんでした。

逗子駅からさらにバスで南下。片道2時間以上のほぼ小旅行でした

しかしその新若手社員も事務所の水が合わなかったのか体調不良で欠勤した後、
わずか半年足らずで退職、残った転職社員も相変わらず体調不良により度々欠勤し
実働部隊は自分とオールドルーキーの実質二人のみとなりました。

体調不良により欠勤→そのまま退職はもはやお決まりのパターンとなり、
本来なら業務が落ち着くはずの9月にいつぞや以来の持ち帰り残業が復活する等、
またもや人員不足地獄に陥ることに。

正社員復帰後も管理職にはならなかったためオールドルーキーとともに新部長の
管理下に入り業務指示を受ける立場となりましたがこの時の自分の心境はまさに

「成らぬ堪忍するが堪忍」

でした。

秋口には元税務署職員だった先生が社員として入社。
実務要員としてではなく緊急事態宣言が明け本格化するであろう税務調査の
立会いのサポート役としての採用でした。

そのタイミングを見計らったのように調査の予告電話が入りましたが
調査対象となったのがあろうことか自分の担当している顧客の中で一番税務調査に
来てほしくない先が選ばれてしまい頭の中に戦慄が走りました。

それ以降、事前のヒアリングや調査当日の対策を話し合うため元税務署職員の先生と
共に先方に出向く日々が続きました。

税務調査前日に行われた事務所の飲み会の様子。相変わらずクレイジー

12月になり調査本番を迎えましたが案の定、当日は大小問わず指摘事項のオンパレ
ード。

出来れば年内でスッキリ終わらせてほしいとの先方の意向でしたが、調査の展開から
してそんなことはハナから無理な話。

実地調査が終わってからも担当調査官やその上席とのやりとりが何度も続き、それで
も結論が出ず越年が決定してしまいました。

そんなゴタゴタな中でもウエディングフォトを撮影したりそれぞれの誕生日を祝う
等、二人での時間をより大事に過ごすようになりました。

妻の誕生日祝い
担当先のお客様からいただいた結婚祝品

そんなバタバタな中でも事務所内の忘年会はきっちりもれなく必ずどうしても開催さ
れ開催日も合格発表日と重なるこれまた恒例のタイミング。

深夜近くに帰宅し妻もとうに寝床に入った中、テーブルに置かれていたのは
見覚えのある茶色い封筒。

乱暴に破り開けると入っていたのは

よもやよもやの不合格通知。

成績も初受験の時のそれにも満たない過去最悪の点数。

悔しさと情けなさと心苦しさとで妻にただただ頭を下げて謝り続け
ふたりで明け方までずっと泣き続けました。

カラオケで妻が唄ってくれた「竈門炭治郎のうた」歌詞が本当に身に沁みました

あらゆる手段を尽くしても結局、手にすることが出来なかった合格通知。

妻のため親のため、なにより自分自身のため今後に向けてベストな選択が何か
熟慮に熟慮を重ねた結果、結論が出ました。

これまで事務所のために尽くして6年、ついに鬼となる日が来ました。

つづく