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連載 独立開業までの道のり(第6回)

~銀輪部隊、出撃!~

「この連載は新卒で就職に失敗し20年以上に及ぶ試験勉強生活の末、
税理士・社労士資格を取得し苦節46歳にしてようやく悲願の個人事務所開業を
果たした男の資格取得を決意してから独立開業までの壮絶な過程を
複数回にわたって投稿していくものである」

Back in 2006

再就職が決まり、晴れて新天地での勤務がスタートしました。
朝の連ドラシリーズを観てから家を出ても始業時間に間に合うほどの近所で
通勤も楽になった上、前事務所時代に襲われていた
「今日は何をやらされるんだろう?」
という不安感からもすっかり解放されました。

早速、勤務初日から会計入力を任されましたが
前事務所での経験があるとはいえ初心者に毛が生えた程度のスキルだったため
しばらくは所長の奥さんの隣に座り都度都度確認をしながらの入力でした。

今回の募集で入所したのは自分ひとりだったので、すぐに担当を任される心構えは
していましたが6月下旬で税理士試験が目前に迫っていたことから実際のお客様回り
は8月の試験以降となりました。

そこまで配慮いただいて臨んだ税理士試験でしたが前事務所時代の残業続きだったの
が響いてほとんど勉強が出来ておらず苦手の簿記論の受験は見送り、
受験した財表も追い込み及ばず不合格でした。

以降は所長に同行してお客様を回っては所内で入力作業の繰り返しで
前事務所からの比較を抜きにしても大事に使ってもらっているという
安心感がありました。

会計士の前身である計理士という資格出身の先生からの顧客をそのまま引き継いだ
ため事務所だったためお付き合いが30年、40年という方も多く皆様概ね好意的に受
け入れてくださりました。

お客様の大半は事務所から近所だったため、訪問の移動手段はほとんどが自転車。
後ろを気遣う様子もなく一心不乱にペダルを漕ぐ所長の背中を追いながら同行する
日々が続きました。
2人連なって現れる光景が滑稽に見えたのかとあるお客様からは
「銀輪部隊が来た」などと言われたほど。

また、1件のお客様は比較的遠方で先輩社員の方と一緒に車で出向きましたが先輩の
粗い(?)運転により訪問初日に大変な車酔いに襲われ顔面蒼白のまま同行したのを
覚えています。
大口の顧問先様でもあったため常に先輩社員との2人体制で担当しており、
社長の突発的かつ思い付きの質問に即答できるよう、風呂敷にありとあらゆる書類資
料関係を包んでの訪問でした。

個人のお客様も多く実質初めて経験した確定申告期はほぼ1か月休みがありませんで
した。それでも与えられた作業をひたすらこなし、疲れながらも充実した繁忙期を過
ごすことができました。

この時点では顧客担当数はまだ多くありませんでしたが、入所2年目に起きた事件を
きっかけに担当先が増えたのでした。

つづく

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連載 独立開業までの道のり(第5回)

~決め手はハート~

「この連載は新卒で就職に失敗し20年以上に及ぶ試験勉強生活の末、
税理士・社労士資格を取得し苦節46歳にしてようやく悲願の個人事務所開業を
果たした男の資格取得を決意してから独立開業までの壮絶な過程を
複数回にわたって投稿していくものである」

Back in 2006

退職から1週間で臨んだ最初の面接。
対応した所長先生に前事務所での仕事内容や退職に至った経緯を
包み隠さずお伝えしたところひどく同情されていました。

事務所の歴史もあってセミナーや出版物も定期的に出されている先生で
即日ではありませんでしたがすぐ内定の連絡をいただきました。
試験勉強にも配慮してくださるとの嬉しいお言葉が。

そして土曜日に迎えた近所の事務所の面接。
求人は正社員とパートの同時募集でしたが、どうしても試験勉強を
優先したい都合上、応募の段階では残業のないパート希望で面接に臨みました。

面接は所長先生(=以下所長)とその奥様の二人での対応でした。
小規模な典型的な町の会計事務所で所長はその年に独立開業したばかりで
外部から社員を採用するのは今回が初めてとのこと。

まず税理士試験の受験状況のことを聞かれてお答えしたところ

「私は税理士試験を16回受けました」

と強烈な一言。

「自分の欠点は何?」

といった後ろ向きとも思える内容の質問もありましたが
前事務所退職の理由については

「会計事務所は良くも悪くも所長の考えがすべて」

と理解を示していただき、少なくともネガティブな印象は持たれなかった
ようでした。

結果は後日連絡ということでしたが帰宅直後に突然電話があり

「もう一度会って話をしたいので出来れば今日もう一度来てほしい」

とのご連絡。

この後散髪の予定が入っていたため夕方近くに再度事務所を訪れたところ

「社員として是非来てほしい」と強烈なラブコールが

気がかりだった残業や休日出勤についても繁忙期を除いて
ほとんど残業は無いから安心してほしいとのこと。

社労士試験に合格していたことも大いに評価していただけたようで
そのような人物が面接に来るのは良い意味で想定外だったとのことでした。
また、一駅だけの距離だったにもかかわらず交通費も包んでいただきました。

最初に受けた事務所の方が規模が大きく経験出来る仕事の内容も充実している
印象でしたが、独立したばかりとはいうものの古くから開業されていた先生の顧客を
そのまま引き継ぎ事務所として成熟していること、なにより所長の熱意に心を動かさ
れたこともあって、お世話になる決意を固めました。

週明けすぐに社員として入所したい旨をお伝えした上で事務所に赴き正式に一員と
なりました。

悪夢の退職から2週間足らずで次の働き口が見つかったことはこの上なくラッキーで
ここからが本当の意味での会計人としてのスタートであったと思います。

つづく

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連載 独立開業までの道のり(第4回)

~イムジン河の向こうへ~

「この連載は新卒で就職に失敗し20年以上に及ぶ試験勉強生活の末、
税理士・社労士資格を取得し苦節46歳にしてようやく悲願の個人事務所開業を
果たした男の資格取得を決意してから独立開業までの壮絶な過程を
複数回にわたって投稿していくものである」

Back in 2006

両親との話し合いからわずか数時間後の朝、退職願を忍ばせて
事務所に出社しましたが肝心の所長はまだ出所しておらず。

所長の奥さんに連絡してもらいいつも出所してくる時間より早く
所長が事務所に到着。

明らかに不機嫌そうな顔をして事務所に入ってきた所長に退職願いを差し出し
本日付で退職したいことを伝えました。

「この機に及んでカッコつけるなよ。要は嫌になったんだろう?」

「それが社員の辞め方か?パートかお前は?」

数多くの罵声を浴び最後にはタバコの空箱をゴミ箱に投げつけ

「サイテーだな」

と吐き捨てられ逃げるように事務所を後にしました。

面接のときのユーモアがあって豪放磊落なキャラクターとは正反対の変わり様。
こういう場面でその人の本性が出ることを身をもって体験しました。

「軍隊式にやるつもりはない」と言ってはいたものの実際は100%軍隊式そのもの。
職員には常に「打たれ強さ」を求め、職員のほとんどが入所1年ともたないという状況でした。

そのような労働環境だったとはいえ事前に相談なく突然退職を切り出し辞めたことは
明らかに非があり反省すべきところでしたがもはや心身ともに限界を超えていまし
た。

苦労した末、ようやく就職できた会計事務所でしたがわずか4か月で退職することに
なってしまった申し訳なさから両親に泣きながら謝りました。

すぐに再就職活動を始めるも会計事務所=ブラックというトラウマから応募する
勇気が出ず…

企業の経理職も視野に入れようか考えかけていたところ、週末の新聞の折り込みに
入っていた求人広告の中に自宅近くの会計事務所の求人を発見。
経験者歓迎とは書いてあったものの応募条件もさほど厳しくない様子。

早速、週明けに連絡したところ面接に来てほしいとの返事でしたが
月曜朝一に電話したにもかかわらず面接日に指定されたのが週末の土曜日…
近所ということで一両日中にでも面接してもらえると思い込んでいたため
意欲が一気にトーンダウン…

その後、ネット媒体でリクエストがかかったもう一つの事務所に問い合わせたところ
翌日面接に。予め試験勉強優先で働きたい旨をお伝えしたところ
「出来る限り希望に沿うようにしたい」とのお返事。
場所は近所ではないものの十分通勤可能な地域だったため意気に感じ面接に出かけました。

つづく

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連載 独立開業までの道のり(第3回)

~初めての事務所就職、しかし~

「この連載は新卒で就職に失敗し20年以上に及ぶ試験勉強生活の末、
税理士・社労士資格を取得し苦節46歳にしてようやく悲願の個人事務所開業を
果たした男の資格取得を決意してから独立開業までの壮絶な過程を
複数回にわたって投稿していくものである」

Back in 2005~2006

5回目の受験にして社労士試験に合格した直後から
会計事務所への就職活動を開始しました。

しかし、当時(2005年〜2006年)の会計業界は今と違って完全な買い手市場。
手始めに専門学校主催の合同就職面接会に出かけてはみたものの
大手事務所はだいたい年齢25才以下、かつ3科目以上の合格者希望と
かなりの高条件…

自分のスペックはというと年齢も29歳を迎え、合格科目ゼロ、実務経験なしの3重苦…
「あなたの年齢で未経験だったら税理士資格を取った状態じゃないと話にならない」
と面と向かって言われ門前払いを受けた先もありました。

社労士合格もほとんどの先で「ふ〜ん」程度の反応でほぼ相手にされず
会場に来ていた他の求職者たちの若さとフレッシュ感に
いたたまれない気持ちになりそそくさと退散してしまいました。

次はハローワークに出向き比較的ハードルの低い小規模個人事務所をあたりましたが
年齢希望は大手ほど低くはなかったものの最低2年以上の実務経験者を求めていると
ころがほとんど。

ダメ元で面接してもらえないか窓口の方に数多くかけあってもらいましたが、
1~2名の募集に対してどこも応募者がその2倍3倍といった状況でここでも苦戦…
就職どころか面接すらしてもらえない状況のまま、年越しを迎えてしまいました。

年明けも引き続きハローワークに絞って求職活動していたところ
未経験者歓迎、資格の有無問わず簿記が分かればOK、年齢も30代までなら可
という願ってもない求人の事務所を見つけました。

藁をもすがる思いで面接に出かけたところまさかのその場で内定をいただきました。
所長先生のユーモアがあって豪放磊落な性格にも惹かれ即、お世話になることに。

初めて飛び込んだ会計事務所でしたが所長先生は実務には一切タッチせず職員任せ。
当時いたベテラン職員2人から主に指導を受けていましたが入所して1か月が経過し
たころからそれまでお客様扱いだった態度が一変、質問してもキツく当たられるよう
になり、元々手取り足取り仕事を教えてもらえてなかったのが半ば放置状態に。

さらに悪いことにベテラン社員のうちの1人が急遽退職することになり
その方が担当していた顧客をほぼ同時期に入所した2人と合わせた3人に割り振ら
れ、未経験から入所わずか2か月弱で20件ほどを担当することになってしまいました。

それ以降、引継ぎの挨拶がてらベテラン職員に顧問先へ同行する日々となりましたが
そこでも具体的な業務説明は一切無く、仕事の全体像すら把握していない状態での顧
客担当に不安だけが増す日々…

新たに番頭となったもう1人のベテラン社員からも肝心の所長からも
「お前の担当の客なんだからお前で何とかしろ」
とフォローがあるどころか逆に突き放される始末でした。

心身ともに疲弊していく中で迎えた5月末の決算期。
申告書を作成しようにも訳が分からずただ時間だけが過ぎていく
生き地獄のような状況が続きました。

やっとベテラン社員から決算と申告書作成の説明を聞けるはずだったその日の
夕方になって突然、お客に飲みに誘われたと出かけてしまいこの期に及んでも放置…

夜遅くにようやく事務所に戻ってきてからマンツーマンの指導が始まりましたが
時間にも追われる中、「こんなことも知らないのか」
と罵倒されながらなんとか申告書が完成したのが午前2時…

終電も無くなり事務所の車で家の近くまで送ってもらいましたが、
その一件をもって張り詰めていた糸が完全に切れました。

明け方まで両親と話し合った結果、即日での退職を決意。
翌朝、書いたばかりの退職願を手に意を決して事務所に出勤しました。

つづく

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連載 独立開業までの道のり(第2回)

~受験専念→待望の社労士合格~

「この連載は新卒で就職に失敗し20年以上に及ぶ試験勉強生活の末、
税理士・社労士資格を取得し苦節46歳にしてようやく悲願の個人事務所開業を
果たした男の資格取得を決意してから独立開業までの壮絶な過程を
複数回にわたって投稿していくものである」

Back in 2001~2005

社労士試験初受験は準備不足もあって箸にも棒にもかからない点数で
あえなく不合格..

専門学校を変えて臨んだ2回目の受験では択一式、選択式ともに
総合点は合格基準をクリアしていたものの、
選択式で1箇所基準点割れがありまたしても不合格…

たった1点の差で掴みかけた合格がスルリと逃げた悔しさと情けなさから
何度も自分の頭を殴りつけました。

社労士試験の不条理さに失望し今一度この先を考えた結果、
父が身を置いていた会計業界に進むことを決意しました。

しかし大学まで一貫して文系で過ごし小学校の割り算ですでにつまづいていた
レベルの数学脳では畑違いとも言える業界への転身でした。

早速、専門学校の税理士講座に受講を申し込みましたが
簿記の学習経験がまったく無かったため前段階の簿記入門クラスからの受講に…

長いこと当期純利益を当益純利益、B/SをB/Lと言い間違いしていたほど
理解度が悪く早くも暗雲が立ち込めていましたが当時あった11月開講の
簿記論レギュラークラスに合流してようやく税理士試験勉強の学習を
始めることができました。

牛丼店でのアルバイトは勤務3年を超えもはや社員並みに働くようになっており
常連のお客さんからは「店長」と認識されるまでになっていましたが
立ち仕事の影響から椎間板ヘルニアを患いついには退職。
これ以降、税理士試験と社労士試験のダブル受験勉強専念生活となりました。

簿記論は必修科目であり税理士試験の登竜門と言うべき科目でしたが
100%計算問題とあって苦手意識をもってしまいなかなか内容が身につかず
初受験はあえなく不合格。

社労士試験の方も前年の敗退ショックから終始モチベーションが上がらず
3回目の受験は選択式、択一式ともに基準点に届かず不合格に終わりました。

翌年は税理士試験は簿記論に加えてもう一つの必修科目である
財務諸表論を受験しました。

2年目でも相変わらず簿記への苦手意識を払しょく出来ず、
財表は健闘したものの結局2科目とも不合格でした。

社労士試験も択一式では合格基準をクリアしましたが2年目と同じく
選択式がまたもや1点足りずに不合格。

大学卒業から4年が経過し年齢も28歳になろうとしていましたが
合格した試験は結局ゼロ…
春先には同居していた祖母が脳出血で倒れて寝たきり生活となり
家庭環境も大きく変化しました。

受験専念生活も3年目に突入し是が非でも結果が欲しかったところで
迎えた5回目の受験で社労士試験に合格することが出来ました。

専門学校には申し込まず月間社労士Vの購読とCD講座での節約受講、
集中して勉強できたのは税理士試験が終了してからの正味20日ほどでしたが
択一式はギリギリで合格基準をクリア、選択式は例によって
基準割れがあったものの運よくそこに救済措置が入り
見事、合格証書を手にすることが出来ました。

税理士試験はまたもや簿財2科目とも不合格でしたが
大学卒業から5年目、試験勉強専念3年目にして初の国家資格合格でした。

社労士試験に合格した自信と勢いをもとに会計事務所への就職活動を
開始しましたがそこに待っていた現実とは…

つづく

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連載 独立開業までの道のり(第1回) 

~就職失敗→社労士を志すまで~

「この連載は新卒で就職に失敗し20年以上に及ぶ試験勉強生活の末、
税理士・社労士資格を取得し苦節46歳にしてようやく悲願の個人事務所開業を
果たした男の資格取得を決意してから独立開業までの壮絶な過程を
複数回にわたって投稿していくものである」

Back in 1999~2000

子供の頃からなりたい職業も行きたい業界もあるわけでなく、
なんとなく日々を過ごしていくうちにあっという間に大学3年生になってしまい
否が応でも就職について考えなければならない時が訪れました。

しかし、私が就職活動をした時期(1999年から2000年)は就職氷河期の
真っただ中…
とりあえず周囲の動きに合わせてあらゆる企業の説明会や面接に臨んだものの
ただでさえ厳しい就職状況にも関わらず就職への動機自体定まっていないような
状態では内定を出す会社がある訳がなく連戦連敗..

一方で法学部に在籍していた関係で同級生が宅建や行政書士試験に
挑戦している様子を見て行政書士試験を受験しました(結果は不合格)

卒業直前の3月になって奇跡的に1社内定を得たものの
仕事内容への不安から結局、内定を辞退してしまいました。

4月からの身の置き方をどうするか考えたとき就職活動はせず
某牛丼大手チェーン店でアルバイトをしながら引き続き
行政書士資格を目指す選択をしました。

同級生の中には卒業後も引き続き就職活動を継続する者もおりましたし
(当時は第二新卒という言葉はなく単に就職浪人と言っていました)
「どこでもいいから就職しないと先々が大変だよ」と
厳しい忠告を受けたこともありました。

試験勉強は2年目で学習は順調に進んでいましたが結果は前年同様不合格…
大学受験ですら1年浪人してやっと1校受かっただけの地頭の悪さでは
合格率1割少しの国家試験に短期合格するのは厳しいものがありました。

次に受験を考えたのが社会保険労務士(社労士)試験。
行政書士受験者も受けることが多く当時の世の中が失業率が高止まりし
年金不安も始まっていたところで将来性が十分ある資格
とのうたい文句(?)に惹かれて受験を決意しましたが…

つづく